京都が生んだ江戸時代の絵師・伊藤若冲ゆかりのお寺
伏見区深草、伏見稲荷大社のある稲荷山の南側。緩やかな坂を上ると、近くには墓園もある山の中腹の住宅街。その中に生垣があり、さらに上へと延びる細い石段。一瞬見過ごしてしまいそうなほどですが。
この先には黄檗宗寺院である石峰寺があります。
ちょっと息が切れるほどの石段を上がり、高台に立地するお寺。黄檗宗ということもあり、わりと新しい雰囲気の山門。
正徳3年(1713年)、黄檗宗大本山萬福寺の第6世千呆性侒(せんがいしょうあん)が開創。
正徳3年(1713年)、黄檗宗大本山萬福寺の第6世千呆性侒(せんがいしょうあん)が開創。
平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた沙羅連山石峰寺にあった本尊・薬師如来像が土中から慶長元年(1596年)に発見され、五条大橋東あたりの祠に祀られていましたが、これを尊崇する千呆和尚が、正徳3年(1713年)にいまの深草の地に移したのが始まり。
境内は緑豊かで中央に本堂が。
この右手には裏山へと続き、京都が生んだ江戸時代の日本画家・伊藤若冲の下絵を基にした五百羅漢石像があります。こちらについては拝観料が必要で、さらに石像保存の観点よりスケッチ・撮影禁止。以前、マナーの悪い拝観者がいたそうです。
五百羅漢石像も、かつては1000体以上あったそうですが、何者かに倒されたり破損したりで、現在では400体余り。
この右手には裏山へと続き、京都が生んだ江戸時代の日本画家・伊藤若冲の下絵を基にした五百羅漢石像があります。こちらについては拝観料が必要で、さらに石像保存の観点よりスケッチ・撮影禁止。以前、マナーの悪い拝観者がいたそうです。
五百羅漢石像も、かつては1000体以上あったそうですが、何者かに倒されたり破損したりで、現在では400体余り。
本堂はわりと新しい造り。香木のいい香りが漂っていました。
1915年(大正4年)、本堂が焼失するが再建。その後、1979年(昭和54年)放火により本尊・薬師如来を含め本堂が焼失。1985年(昭和60年)本堂を再建し、新たに釈迦如来が本尊となる。
お寺としては、なんとも激動のあゆみですね。
1915年(大正4年)、本堂が焼失するが再建。その後、1979年(昭和54年)放火により本尊・薬師如来を含め本堂が焼失。1985年(昭和60年)本堂を再建し、新たに釈迦如来が本尊となる。
お寺としては、なんとも激動のあゆみですね。
黄檗宗総本山萬福寺にもあった、ラーメン鉢風の模様の欄干。「卍くずし」と呼ばれるデザインだそうです。中国僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されたということもあり、お寺の造りに中国風の意匠が施されています。
若冲は寛政2年(1791年)、この門前に草庵を設けて隠棲していましたが、寛政12年(1800年)9月10日、85歳で死去。 山門北側には若冲の墓があり、2000年(平成12年)から毎年9月10日に若冲忌が営まれています。
400体余りあるということで、時間的に叶わず、今回は裏山の五百羅漢石像を拝観しませんでしたが、また機会を改めて行ってみたいと思いました。若冲ファンは必訪ですね。
400体余りあるということで、時間的に叶わず、今回は裏山の五百羅漢石像を拝観しませんでしたが、また機会を改めて行ってみたいと思いました。若冲ファンは必訪ですね。
石峰寺 へのツイート
石峰寺 伊藤若冲の五百羅漢:江戸時代中期に奇想の画家として名声を得た伊藤若冲が晩年に隠棲者として過ごした京都の寺院。当寺の五百羅漢像は若冲自らが制作・演出に関わったという。制作当時の様子は若冲作「石峰寺図」(4)にて伺うことができる。 pic.twitter.com/sJwnnuqBOu
— 仏像紹介BOT (@butsuzobot) October 5, 2019
詳細情報
住所:京都市伏見区深草石峰寺山町26
電話番号:075-641-0792
拝観時間:9:00~16:00
拝観料(五百羅漢):大人300円、小人200円
公式サイト:https://www.sekihoji.com/
電話番号:075-641-0792
拝観時間:9:00~16:00
拝観料(五百羅漢):大人300円、小人200円
公式サイト:https://www.sekihoji.com/