大田神社の由緒
現在は上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社となっている大田神社ですが、創建は不詳で上賀茂神社より以前とも言われています。
古くは「恩多社(おんたしゃ)」と呼ばれ、賀茂県主(かものあがたぬし)が移住する前から先住していた民により福神としてお祀りされていました。
古くは「恩多社(おんたしゃ)」と呼ばれ、賀茂県主(かものあがたぬし)が移住する前から先住していた民により福神としてお祀りされていました。
via 藤花
御祭神が天岩戸の前で御神楽を奉納した天鈿女命(あめのうずめのみこと)であることから、芸能上達のご神徳があり、また賀茂最古の神社ということから延命長寿のご神徳もあるとされています。
大田ノ沢のカキツバタ群落
via 藤花
美しいカキツバタが見られるのは参道右手にある大田ノ沢です。
大田ノ沢のカキツバタは平安時代から名所として知られ、平安時代後期の公家て歌人の藤原俊成(ふじわらしゅんぜい)が詠んだ歌が残っています。
「神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」
大田ノ沢のカキツバタは平安時代から名所として知られ、平安時代後期の公家て歌人の藤原俊成(ふじわらしゅんぜい)が詠んだ歌が残っています。
「神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ」
via 藤花
神山は賀茂別雷命が降臨された山で、この歌の意味は
「神山への深い信仰心が大田ノ沢に咲くカキツバタをあんなにも美しい紫の色に染めるのですね」
「神山への深い信仰心が大田ノ沢に咲くカキツバタをあんなにも美しい紫の色に染めるのですね」
via 藤花
上賀茂神社への帰依の深さゆえに美しく咲くカキツバタという崇敬の念も込めた素敵な和歌です。
確かに凛とたたずむ紫の花は、清らかさだけでなく芯の強さも感じます。
確かに凛とたたずむ紫の花は、清らかさだけでなく芯の強さも感じます。
via 藤花
このカキツバタは江戸時代の絵師・琳派の祖である尾形光琳の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフにもなったとも言われています。
大田神社の境内
via 藤花
新緑が清々しい樹々に囲まれた参道を進むと、中央が吹き抜けになっている拝殿(割拝殿)と本殿が見えてきます。
カエルの鳴き声が聞こえるだけの静かな境内には、上賀茂神社の境外末社が並んでいます。
カエルの鳴き声が聞こえるだけの静かな境内には、上賀茂神社の境外末社が並んでいます。
白髭神社
via 藤花
鎮守社
via 藤花
公開中の社家住宅へ
カキツバタがデザインされた御朱印をいただいて、上賀茂神社へご挨拶に向かうため社家町を歩いていると、公開中の社家を発見!
京都市指定有形文化財の「梅辻家住宅」の内部が公開されているということで、入ってみました。
京都市指定有形文化財の「梅辻家住宅」の内部が公開されているということで、入ってみました。
via 藤花
残念ながら内部は撮影NGでしたが、普段見ることができない貴重なお部屋をじっくりと拝見させていただきました。
梅辻家は、賀茂七家と呼ばれていた上賀茂神社の神主に就任できる7つの社家の1つです。
長屋門や母屋、書院などが公開されていましたが、書院は京都御所のご学問所を移築したという由緒あるもの。
菊の御紋が施された障子金具や花頭窓(かとうまど)などの貴重な建具や書物。由緒深い品々をじっくりと見られるめったにない機会となりました。
今回の梅辻家住宅公開は、5月11日(日)で終了しています。
梅辻家は、賀茂七家と呼ばれていた上賀茂神社の神主に就任できる7つの社家の1つです。
長屋門や母屋、書院などが公開されていましたが、書院は京都御所のご学問所を移築したという由緒あるもの。
菊の御紋が施された障子金具や花頭窓(かとうまど)などの貴重な建具や書物。由緒深い品々をじっくりと見られるめったにない機会となりました。
今回の梅辻家住宅公開は、5月11日(日)で終了しています。
青々と美しい上賀茂神社境内
今年になってすでに2回目の参拝となった上賀茂神社は、3月初めに訪れたときとは違って芝生は青々、桜の木は新緑が鮮やか。
遠くの山も美しい緑に彩られていました。
遠くの山も美しい緑に彩られていました。
via 藤花
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本殿にご挨拶をして、帰りは御薗橋から北山大橋まで賀茂川沿いをブラブラ。草いきれが心地よく、あっという間の時間でした。
広いようで狭い京都市街は、本気を出せばたいていのところは徒歩で行けます。今回も1万歩達成で、気持ちの良い京歩きでした。
広いようで狭い京都市街は、本気を出せばたいていのところは徒歩で行けます。今回も1万歩達成で、気持ちの良い京歩きでした。
via 藤花