日本史に残る産業文化をもたらした豪族・秦氏ゆかりの社
まず、神社の説明をする前に、この太秦一帯で影響力を及ぼした豪族・秦氏の存在です。
特に右京区界隈の神社や古墳に必ずといっても過言でないほど登場する秦氏。お酒の神様として知られる松尾大社、そして伏見稲荷大社の建立にも関わり、蚕の社ともゆかりある古墳時代に百済(朝鮮半島)から渡来した一族。
そして、この大酒神社もまた例にもれず秦氏ゆかりの神社。
特に右京区界隈の神社や古墳に必ずといっても過言でないほど登場する秦氏。お酒の神様として知られる松尾大社、そして伏見稲荷大社の建立にも関わり、蚕の社ともゆかりある古墳時代に百済(朝鮮半島)から渡来した一族。
そして、この大酒神社もまた例にもれず秦氏ゆかりの神社。
神社の主祭神には、秦始皇帝、弓月王、秦酒公となっていて、言わば外国人を祀る珍しい神社。なんとも八百万の神が存在する日本の神道は寛容で太っ腹です(笑)
古墳時代、15代応神天皇の時代、秦(しん)の始皇帝の13代目の孫・弓月君(ゆづきのきみ)が内乱つづく中国大陸の難をさけ、百済から1万人以上もの民を引き連れ日本に渡来。
その朝廷へのお礼として、製陶、養蚕、機織などの技術を伝え、それが今日ある日本の産業の礎に。
古墳時代、15代応神天皇の時代、秦(しん)の始皇帝の13代目の孫・弓月君(ゆづきのきみ)が内乱つづく中国大陸の難をさけ、百済から1万人以上もの民を引き連れ日本に渡来。
その朝廷へのお礼として、製陶、養蚕、機織などの技術を伝え、それが今日ある日本の産業の礎に。
また「大避神社」とも書かれ、災難除けや悪疫退散のご利益もあり。
まだわりと新しい雰囲気の石碑。皇紀二千六百年奉祝記念とあります。
御手水舎。水は張ってませんでしたが。
本殿。
秦始皇帝、弓月王、秦酒公が祀られていますが、秦酒公は弓月王の孫にあたり、秦氏は始皇帝の末裔とも言われています。
秦始皇帝、弓月王、秦酒公が祀られていますが、秦酒公は弓月王の孫にあたり、秦氏は始皇帝の末裔とも言われています。
ま、この石造りの鳥居もそれほど古いものではないと思いますが、珍しい八角柱。
ちょっと他の神社にはない雰囲気漂う神社ですね。
ちょっと他の神社にはない雰囲気漂う神社ですね。
大酒神社 へのツイート
大酒神社 京都市右京区太秦蜂岡町
— あしはらのなかつくに (@sorewa_sateoki) 2019年3月24日
主祭神は秦始皇帝、弓月王、秦酒公
延喜式神名帳記載の葛野郡 大酒神社(元名大辟神社)
創建は第14代仲哀天皇の時に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔)が秦始皇之祖神を勧請したしたのが始まり
鳥居は八角柱 pic.twitter.com/WgffNXkohQ
基本情報
名称:大酒神社
住所:京都市右京区太秦蜂岡町
住所:京都市右京区太秦蜂岡町
たまたま他の神社を参拝しているときに見つけ、「大酒神社」とのネーミングで、てっきり大酒飲みは参っておけ的な神社か?と思ってやってきました(笑)