比叡山山麓にある都の鬼門守護神
左京区修学院離宮の北隣に位置する寺院『赤山禅院』。この日は比叡山への山登りの途中で、お寺の脇に登り口があるというので、その前にお参りをしようとやってきました。
周辺にはお地蔵やお寺へ参道を示す石標があったり。
さらに、この日は近くにある鷺森神社の春祭りで、お神輿も待機中でした。
赤山禅院は平安時代・仁和4年(888年)、第三世天台座主円仁の遺命により創建された天台宗総本山、比叡山延暦寺の塔頭の一つ。
円仁は838年遺唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納る際、その守護をした赤山大明神に感謝し、赤山禅院の建立を誓いました。日本に戻った円仁は天台密教の基礎を築くも、赤山禅院建立には至らず、その遺命に従い第四世天台座主安慧(あんね)が赤山禅院を創建したと伝えられています。
円仁は838年遺唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納る際、その守護をした赤山大明神に感謝し、赤山禅院の建立を誓いました。日本に戻った円仁は天台密教の基礎を築くも、赤山禅院建立には至らず、その遺命に従い第四世天台座主安慧(あんね)が赤山禅院を創建したと伝えられています。
比叡山に向かって伸びる参道。その両側には新緑の青もみじの並木道になっており、苔むした石垣とともに、涼やかな雰囲気が漂います。秋には紅葉、そして今のシーズンなら青もみじの名所として知られています。
「都七福神」の幟が立っていますが、こちらには福禄寿神も祀られています。
「都七福神」の幟が立っていますが、こちらには福禄寿神も祀られています。
この時はまだ朝9時ごろで、境内はひっそりとした静かな雰囲気でした。
境内の中央に御本尊である、赤山大明神を祀る本殿、その周りに福禄寿堂などのお堂が並んでいます。
今回は登山目的で全部は回れませんでしたが、通常であれば本殿周りを順路に沿ってお参りするようになっています。
今回は登山目的で全部は回れませんでしたが、通常であれば本殿周りを順路に沿ってお参りするようになっています。
本殿前にある拝殿。
こちらは比叡山延暦寺がそうであるように、都の鬼門(北東)、皇城表鬼門を守護するお寺。屋根の上には鬼門除けの猿が祀られ、御幣とかぐら鈴を持っています。かつて夜な夜な悪さをしたため、逃げ出さないよう金網の中に入れられていると言われます。
こちらは比叡山延暦寺がそうであるように、都の鬼門(北東)、皇城表鬼門を守護するお寺。屋根の上には鬼門除けの猿が祀られ、御幣とかぐら鈴を持っています。かつて夜な夜な悪さをしたため、逃げ出さないよう金網の中に入れられていると言われます。
本殿には御本尊の赤山大明神が、皇城表鬼門の鎮守として祀られています。赤山大明神は唐の赤山にあった泰山府君を勧請したもの。ちょっと他の寺院にはない独特の建築様式。木製の獅子像が本殿を守護し、頭上には梵字の扁額が3つ並んでいます。
山の地形を利用した境内になっており、鳥居の先には縁結びの神・相生社や鬼門方除の神・金神社などが祀られています。
都七福神の一神を祀る福禄寿堂。以前都七福神めぐりで福禄寿堂の御朱印はいただいたことがあったので、今回はご本尊の赤山大明神の御朱印をいただきました。
御朱印所の方に京都一周トレイルの途中であることを話すと、いろいろな耳より情報をいただきました(笑)以前このお寺で、手厚いお接待をしていただいたこともあり、毎度温かいお気持ちをいただけます。
御朱印所の方に京都一周トレイルの途中であることを話すと、いろいろな耳より情報をいただきました(笑)以前このお寺で、手厚いお接待をしていただいたこともあり、毎度温かいお気持ちをいただけます。
雲母(きらら)不動堂 。
苦行として名高い、比叡山延暦寺千日回峰行の創始者・相応和尚が平安時代に開基した雲母寺の本堂と本尊・不動明王を移築したもの。延暦寺と赤山禅院を結ぶ雲母坂にあった寺院でしたが、明治時代に廃寺に。
現在も千日回峰行の大阿闍梨の立ち寄り場所になっていて、加持祈祷の場にもなっており、以前私も大阿闍梨からお加持をいただいたことがあります。
山手にあり、ひっそりとした秘境的雰囲気で、静かにお寺めぐりをしたり、青もみじを観賞できる場所でもあり、オススメの場所ですね。
苦行として名高い、比叡山延暦寺千日回峰行の創始者・相応和尚が平安時代に開基した雲母寺の本堂と本尊・不動明王を移築したもの。延暦寺と赤山禅院を結ぶ雲母坂にあった寺院でしたが、明治時代に廃寺に。
現在も千日回峰行の大阿闍梨の立ち寄り場所になっていて、加持祈祷の場にもなっており、以前私も大阿闍梨からお加持をいただいたことがあります。
山手にあり、ひっそりとした秘境的雰囲気で、静かにお寺めぐりをしたり、青もみじを観賞できる場所でもあり、オススメの場所ですね。