学問の神様・菅原道真の死を悼み祀られた社
このあたりの住人の方が書かれた来歴があり、地元で大切にされている由緒ある社であることがわかります。
謀反の罪により、朝廷から太宰府への左遷を命じられた菅原道真は、延喜3年(903)わずか2年ほどで無念の死を遂げ、それを悼んだ家臣たちが帰京した後、かつてこのあたりにあった北野の森に御供所を七か所建て、北野七保と呼ばれるように。
謀反の罪により、朝廷から太宰府への左遷を命じられた菅原道真は、延喜3年(903)わずか2年ほどで無念の死を遂げ、それを悼んだ家臣たちが帰京した後、かつてこのあたりにあった北野の森に御供所を七か所建て、北野七保と呼ばれるように。
その七か所のうち、最初に道真を祀ったのがこちら安楽寺。道真の家臣が大宰府から持ち帰った道真手彫りの木像を安置し創建。さらに道真が合祀された後は一ノ保社・安楽寺天満宮と改め、神仏習合により神宮寺に。
その後、明治時代の廃仏毀釈によって安楽寺は廃寺となり、北野天満宮境内に移され末社・一之保神社となりましたが、再びこの地に分祀。
その後、明治時代の廃仏毀釈によって安楽寺は廃寺となり、北野天満宮境内に移され末社・一之保神社となりましたが、再びこの地に分祀。
一ノ保天満宮と書かれた扁額の鳥居と石碑。
さらに赤いお稲荷さんの社。熊鷹稲荷。
島津製作所の創業者・島津源蔵氏が円町で電球をつくっていた時にご利益を得て、祀られた稲荷社。
島津製作所の創業者・島津源蔵氏が円町で電球をつくっていた時にご利益を得て、祀られた稲荷社。
他、境内には不動石や御神木もあり、盛りだくさんな天満宮。とても静かで穴場的な天神さんです。
詳細情報
名称:一ノ保天満宮・安楽寺天満宮
場所:京都市上京区御前通西裏上ノ下立売上ル北町
場所:京都市上京区御前通西裏上ノ下立売上ル北町
学問の神様で知られる菅原道真ゆかりの場所「一ノ保・安楽寺天満宮」。
この周辺には道真ゆかりの場所がそこここにあるわけですが、こちらもその一つ。