風水をもとに都市整備された平安京の北方守護神
堀川通りから鞍馬口通りを西へ。途中、猪熊通りを上がると、京都ではわりとレアなY字路。まあ、中心から離れると時々見かけますが。大体町全体が碁盤の目状になってるのに慣れているせいか。
そのY字路の脇に神社が。
周辺にはマンションだったり住宅街だったり。これまでいろいろ神社を巡ってきて、大体街道沿いや大通りに面した神社が多い中、ちょっと個人的に面白い立地の印象。
本殿。
玄武神社の御祭神は、第五十五代文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王。
創建、変遷の詳細は不明だが、元慶年間(877-885)に、大宮郷の郷士・若宮八幡宮神職・星野市正茂光が、惟喬親王の皇位継承にともなう不運、怨念、怨霊を鎮めるために、親王寵愛の剣をこの地に祀ったことが始まり。
玄武神社の御祭神は、第五十五代文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王。
創建、変遷の詳細は不明だが、元慶年間(877-885)に、大宮郷の郷士・若宮八幡宮神職・星野市正茂光が、惟喬親王の皇位継承にともなう不運、怨念、怨霊を鎮めるために、親王寵愛の剣をこの地に祀ったことが始まり。
さらに、平安京が風水をベースに都市整備されたことは有名な話だが、
風水において好適地とされる地勢や地相を『四神相応(しじんそうおう)』、四方東西南北を「四神」が守護するという考え方を基に平安京が整備されたわけだが、その平安京の大内裏から北方の位置がこちら。鎮護神・玄武を意味し、それが社号に。
玄武とは亀に蛇が絡んだもので、亀は長寿、蛇は商売繁盛を招くという。ちょっと隠れていますが、中央に玄武像が。
風水において好適地とされる地勢や地相を『四神相応(しじんそうおう)』、四方東西南北を「四神」が守護するという考え方を基に平安京が整備されたわけだが、その平安京の大内裏から北方の位置がこちら。鎮護神・玄武を意味し、それが社号に。
玄武とは亀に蛇が絡んだもので、亀は長寿、蛇は商売繁盛を招くという。ちょっと隠れていますが、中央に玄武像が。
境内には、本殿から向かって左側には三輪明神社、玄武稲荷社も。
毎年4月の第2日曜日に行われる玄武やすらい祭は、鞍馬の火祭、太秦の牛祭とともに京都三大奇祭の一つ。平安時代中期から始まったとされるお祭り。やすらい祭というと、今宮神社でも執り行われていますが、発祥はここ玄武神社。
花の散る季節に人々を悩ませる悪霊や疫神も飛び散ると云う言い伝えから、お祭りの行列の花傘に入ることによって悪霊、疫病などを追い払い、無病息災(健康、長寿)を願い、疫神はそのまま神社に封じ込めるお祭りということから、鎮花祭の意味合いを持ち、国の「重要無形民俗文化財」にも指定されるお祭り。
花の散る季節に人々を悩ませる悪霊や疫神も飛び散ると云う言い伝えから、お祭りの行列の花傘に入ることによって悪霊、疫病などを追い払い、無病息災(健康、長寿)を願い、疫神はそのまま神社に封じ込めるお祭りということから、鎮花祭の意味合いを持ち、国の「重要無形民俗文化財」にも指定されるお祭り。
玄武神社 へのツイート
京都市北区の玄武神社です
— たけちゃん (@TakeUshiku) August 14, 2019
私が茨城県から来たと言うとうちを良く知っていましたねと驚かれました。玄武なので手水舎は亀から水が出ていました。御守りも頂きました pic.twitter.com/N6fZPthWY7