臨済宗中興の祖・白隠禅師ゆかりのパワースポット
この日は狸谷山不動院を参拝し、さらに以前から行きたかった場所へ。境内の裏手の山中に向かう登山ルート。ここから京都一周トレイル東山ルートにも合流できます。
最近日本各地でニュースになっている熊出没。ここでも9月に熊が確認されたそうです。心配な方は熊除けの鳴り物持参がオススメです。
しばらく登ると鳥居があり、ここから「三十六童子めぐり」の道が続き、山中には不動明王の使者である三十六童子が配置されています。この日の本題は別にあったので、実際に36体の像があったのかどうかは未確認でしたが。
こんな形で山道に童子像が点在し、道標にもなっています。
その途中、京都一周トレイルのルート案内。これを地図代わりに行けば迷うことなく進めます。
ちなみに京都一周トレイルとは、三方山に囲まれた京都市をぐるっと一周できるようにコース設定され、さらに東山・北山東部・北山西部・西山・京北のエリアに5分割され、途中観光・歴史・風景などが楽しめるトレッキングコースのこと。その中でも今回のコースは東山エリアになります。
ちなみに京都一周トレイルとは、三方山に囲まれた京都市をぐるっと一周できるようにコース設定され、さらに東山・北山東部・北山西部・西山・京北のエリアに5分割され、途中観光・歴史・風景などが楽しめるトレッキングコースのこと。その中でも今回のコースは東山エリアになります。
その、トレイルコースのチェックポイントにもなっている、前から来てみたかった史跡「白幽子巌居蹟(はくゆうしがんきょあと)」。
江戸時代前期から中期にかけての隠士・書家であった白幽子が暮らしていた岩窟跡。岩場の洞窟で暮らしていたなんて、今思うととんでもなく仙人的な人物で、数百年を生きた仙人という伝説もあるとか。なんでも、書に優れ、さらには天文、医学にも精通していたと伝わる人物。
そんな方のもとへ、とある人物が教えを請いにやってきます。
そんな方のもとへ、とある人物が教えを請いにやってきます。
普段、南禅寺の暁天座禅会によく参加しているのですが、その際読み上げるお経「坐禅和賛」。
坐禅和讃(ざぜんわさん)は、白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師が著した臨済宗のお経で、日本で初めて平仮名交じりの日本語表記のお経。白隠禅師はそれをつくった人物で、臨済宗中興の祖と言われています。
メジャーなお経というと、般若心経が特に有名ですが全て漢字つづり。たまに坐禅会でも般若心経を唱和する機会もありますが、断然にスラッスラと読みやすいのが坐禅和賛(笑)しかも、その内容もわかりやすく日本人向けのお経とも言えます。
坐禅和讃(ざぜんわさん)は、白隠慧鶴(はくいん えかく)禅師が著した臨済宗のお経で、日本で初めて平仮名交じりの日本語表記のお経。白隠禅師はそれをつくった人物で、臨済宗中興の祖と言われています。
メジャーなお経というと、般若心経が特に有名ですが全て漢字つづり。たまに坐禅会でも般若心経を唱和する機会もありますが、断然にスラッスラと読みやすいのが坐禅和賛(笑)しかも、その内容もわかりやすく日本人向けのお経とも言えます。
そんな白隠禅師が禅に打ち込みすぎるあまり、「禅病」今で言うノイローゼにかかり、白幽子に教えを請います。そこで、白幽子から「内観の法」を授かって禅病が治ったと伝わり、その場所がここだったとか。ちなみに内観の法は今で言う丹田呼吸法のようなもので、呼吸に注力するという今の坐禅方法の原型のような内容のようです。
それにしても、背後の岩窟で白隠禅師が白幽子の教えを請いながら、かつて坐禅に励んでいたのかと思うと、不思議な霊力のあるスポットなのかとも思えます。
それにしても、背後の岩窟で白隠禅師が白幽子の教えを請いながら、かつて坐禅に励んでいたのかと思うと、不思議な霊力のあるスポットなのかとも思えます。
また、この「白幽子巌居蹟」と書かれた石碑は、日本画家・富岡鉄斎が1906年に建てたもの。そんなすごい伝説の場所が今も登山途中に見られるとは(驚)岩窟パワーにもあやかれそうなスポットですね。
詳細情報
名称:白幽子巌居蹟
場所:京都市左京区北白川清沢口町
場所:京都市左京区北白川清沢口町
この狸谷山不動院は真言宗修験道大本山。平安時代、桓武天皇が都の鬼門封じとしてこの場所に『咤怒鬼不動明王(たぬきふどうみょうおう)』を安置したのがはじまりとされ、お寺の名称の由来にもなっています。