多くの縁切り祈願者で行列必至のパワースポット
かなり古めの有名人絵馬が飾られています。中にはちょっと古すぎて知らない有名人も。
驚きです。ぼやき漫才で一世を風靡した、尊敬する人生幸朗師匠の絵馬が(笑)
わりと街中なので、こじんまりとした規模の広さの境内ですが。
それでも、この行列をつくる光景はもはや定番というか見慣れた光景というか。
それでも、この行列をつくる光景はもはや定番というか見慣れた光景というか。
行列の先にあるこちら『縁切り縁結び碑』。高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石。そこには無数のお札が貼られています。
そのお札というのは参拝者がそれぞれ自分の良縁悪縁についての願いをしたためた「形代」(身代わりのおふだ)。
その形代を持って、願い事を念じながら碑の表から裏、裏から表へくぐるわけですが、皆真剣で中には声をかけられないくらい神妙な面持ちの方も。中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。そして、最後に巨石に形代を貼り付けて完了。
ですが、まずは本殿をお参りください。そして、あまりにも縁切り縁結び碑が大行列の場合は、こちら本殿で祈願するだけでもいいそうです。
天智天皇の頃(668~671年)に藤原鎌足が仏堂を建立し、に藤原家一門の繁栄を祈願、藤を植樹して藤寺と号したのがはじまり。
そののち、崇徳天皇と所縁深く、藤寺の藤を愛し寵愛した阿波内侍を住まわせたり。保元の乱に敗れて崇徳上皇は讃岐国に流刑になり、悲しんだ阿波内侍は出家して尼に。
崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂に霊が現れたことから、後白河法皇の詔によって建治年間(1275年 – 1277年)に光明院観勝寺が建立。さらに江戸時代太秦安井にあた蓮華光院の讃岐金比羅宮より勧請した大物主神を合祀。
その後、荒廃や大火も経て明治維新の神仏分離で安井神社に改組。大物主神が御祭神に。
そののち、崇徳天皇と所縁深く、藤寺の藤を愛し寵愛した阿波内侍を住まわせたり。保元の乱に敗れて崇徳上皇は讃岐国に流刑になり、悲しんだ阿波内侍は出家して尼に。
崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂に霊が現れたことから、後白河法皇の詔によって建治年間(1275年 – 1277年)に光明院観勝寺が建立。さらに江戸時代太秦安井にあた蓮華光院の讃岐金比羅宮より勧請した大物主神を合祀。
その後、荒廃や大火も経て明治維新の神仏分離で安井神社に改組。大物主神が御祭神に。
今回はこちらのおみくじがちょっと独特というのでテレビでも話題になり、それを求めて社務所へ。
それがこちら2種類。今回は縁みくじ300円の方です。通常のおみくじもありますが。
引いた串の番号を告げると、こんな栞状の透明袋に入った状態で渡されます。
中は折りたたんだ状態になっていて、広げるとさながら紙状の絵馬に。ご祭神である崇徳上皇の御歌をもとに運勢を記したもの。
そして、一番左下に悪縁度がパーセント標記。現在身の回りにある全ての縁の良し悪しを示した数値。数字が小さいほうが良縁ということ。
ちょっと他の神社にはない、ここならではの縁みくじ。参拝後にオススメです。
ちょっと他の神社にはない、ここならではの縁みくじ。参拝後にオススメです。
安井金比羅宮 へのツイート
悪縁を切って良縁を結ぶ🌻
— airs (@airisu_hoppeta) 2019年6月14日
懐こい猫に迎えられ悪縁切ってきました!
縁みくじは中吉でしたが
やりたい事に全力尽くせますように🙏
絵馬には恨みいっぱいの言葉が並んでて鳥肌立つくらい怖かったけど面白かったです笑#安井金比羅宮#悪縁#良縁 pic.twitter.com/qbSmRE3G7a
春には参道を美しく彩る桜もまた名物でもあり。