かつては桜並木もあったという宇治川堤防『太閤堤 槇島堤址』
伏見区、京阪宇治線の駅名にもなり、宇治川(淀川)で隔てられた向島方面へ向かう際の要衝であり、豊臣秀吉の政治的拠点でもあった伏見城下にある『観月橋(豊後橋)』。
かつて、京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがるこの辺りには琵琶湖を水源とする巨椋池(おぐらいけ)が存在し、その規模は池というより湖と言うにふさわしいほど。桃山時代 には、伏見に城下を構えた豊臣秀吉が巨椋池(宇治川)に堤防を築く河川改修の大工事に着手。その一つとして、当時の宇治橋を伏見城下であったこの地に移設。工事にあたった豊後大友氏により『豊後橋』と命名。現在の住所にもその名が残っています。
その観月橋経由で向島へ。宇治川東南岸。先ほど渡った観月橋も見えます。
対岸には老舗旅館・桃山温泉月見館。
そして、川沿いにある向島小学校。
その校門横にある駒札。
かつてここには、現在の観月橋(豊後橋) を起点とし、宇治橋手前まで繋がる宇治川の堤防『槇島堤』があり、今の宇治市槇島にあった槇島城を水害から守るために整備。
豊臣秀吉は文禄3年(1594年)、前田利家らに豊後橋から宇治橋まで宇治川の流れを変える築堤を命じ、翌年には完成し、堤防には桜並木も整備。同年には宇治川の氾濫により多くの桜が流されたとも記されている。(「駒井日記」引用)
当時、春には槇島堤を美しい桜が彩り、その奥に向島城がそびえ、伏見城から見下ろす眺めは壮観だったとか。今では現存しませんが、近年まで向島小学校北側の堤横に老木の桜が所々残っていたそうです。
当時の城下の様子に思いを馳せながら、散策したいエリアですね。
豊臣秀吉は文禄3年(1594年)、前田利家らに豊後橋から宇治橋まで宇治川の流れを変える築堤を命じ、翌年には完成し、堤防には桜並木も整備。同年には宇治川の氾濫により多くの桜が流されたとも記されている。(「駒井日記」引用)
当時、春には槇島堤を美しい桜が彩り、その奥に向島城がそびえ、伏見城から見下ろす眺めは壮観だったとか。今では現存しませんが、近年まで向島小学校北側の堤横に老木の桜が所々残っていたそうです。
当時の城下の様子に思いを馳せながら、散策したいエリアですね。
基本情報
名称:太閤堤 槇島堤址
住所:京都市伏見区向島善阿弥町2−3
住所:京都市伏見区向島善阿弥町2−3