穴場的大銀杏の名所
創建当時の寺地は、南は四条通、北は錦小路通、西は万里小路(現在の柳馬場通)、東は富小路通に至り、現在の下京区と中京区にまたがる広域だったとか。
天文5年(1536)の宗派間紛争(天文法難)により焼失し、大阪堺へ避難。天文11年(1542)後奈良天皇の命で旧地に再建。
天文5年(1536)の宗派間紛争(天文法難)により焼失し、大阪堺へ避難。天文11年(1542)後奈良天皇の命で旧地に再建。
その後も移転を繰り返します。
天正元年(1573)、織田信長の上京焼討ちにより、鷹司新町に移転。
天正7年(1579)、浄土宗との問答勝負(安土宗論)に敗れ、信長の命により洛中での布教を禁止。
天正元年(1573)、織田信長の上京焼討ちにより、鷹司新町に移転。
天正7年(1579)、浄土宗との問答勝負(安土宗論)に敗れ、信長の命により洛中での布教を禁止。
不遇の時代を経て、天正11年(1583)に豊臣秀吉より再び布教が許され、現在の地に移転。
その時の許状が現在も仁王門に掲げられています。
その時の許状が現在も仁王門に掲げられています。
そして、境内には大銀杏中心に配置され、知る人ぞ知る紅葉スポット。
どうでしょう。うっすら黄色に色づきつつ、緑とのグラデーション。まだまだといった雰囲気ながら、徐々に色づいています。
どうでしょう。うっすら黄色に色づきつつ、緑とのグラデーション。まだまだといった雰囲気ながら、徐々に色づいています。
こちらは昨年の11月中旬に訪れた時の様子。見ごたえある黄金色の銀杏が楽しめます。
本堂。ご本尊は十界曼荼羅。
建物は1788年(天明8年)天明の大火により焼失し、その後再建されたもの。
建物は1788年(天明8年)天明の大火により焼失し、その後再建されたもの。
さらには、琳派・俵屋宗達ゆかりのお寺としても知られ、境内には宗達のものと伝わるお墓や、宗達筆「たらしこみ」技法の重文・牛図なども所蔵。
そして、お寺を出ようと、ふと仁王門前を見ると、住職が餌付けされているのか、子猫たちが食事中。
街中にありながら、静かな雰囲気ただようお寺。黄金色に輝く銀杏はもう少し先のようですね。
街中にありながら、静かな雰囲気ただようお寺。黄金色に輝く銀杏はもう少し先のようですね。
基本情報
名称:頂妙寺
住所:京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96
電話番号:075-771-0562
関連URL: http://www.nichiren.or.jp/temple/map/kinki/kyoto/kyoto-shi-sakyo-ku/
住所:京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96
電話番号:075-771-0562
関連URL: http://www.nichiren.or.jp/temple/map/kinki/kyoto/kyoto-shi-sakyo-ku/
東大路通りを更に西へ進んだ場所にある日蓮宗のお寺「頂妙寺」。文明5年(1473)に下総国出身の僧日祝によって創建。
この日は比較的紅葉早めの銀杏を目当てにやってきました。大体、桜、銀杏、もみじの順に紅葉が進むという認識のもと。