お金にあやかりたい参拝客が集う黄金鳥居の神社
いつもとちょっと様子が違うな、と思ったら、「御金神社」と書かれた扁額がありません。新調されてるんですかね。ちょっと珍しい光景。
参拝は終日可能ですが、社務所受付は午前10時~午後4時までの様子。この時は昼過ぎでした。
もともと個人屋敷の敷地の邸内社として、祀られていたのが神社の始まり。邸内社にもかかわらず参拝者が絶えず、明治16年(1883年)近隣住民を中心とした奉賛により、現在の社殿が建立。とりわけ目を引く黄金鳥居は、地元の老舗金箔会社により、屋外でも色褪せることのない塗料が施されたとか。
神社の隣通り『釜座(かまんざ)通り』は平安時代、釜師(鋳物職人)が集い、茶釜の鋳造を行っていたエリア。さらにすぐ近くの『両替町通り』は、かつて徳川家康により設けられた「金座」と「銀座」があり、江戸幕府の金貨鋳造を担い、各地の金銀細工業者が集い、その後両替商が集中したことからとりわけ華やいだ街並みだったとか。そんなことから、通貨として用いられる金・銀・銅はじめ、あらゆる金属類、および鉱物や宝石などの鉱石とゆかりある場所ということから、信仰を集め今日に至ります。
神社の隣通り『釜座(かまんざ)通り』は平安時代、釜師(鋳物職人)が集い、茶釜の鋳造を行っていたエリア。さらにすぐ近くの『両替町通り』は、かつて徳川家康により設けられた「金座」と「銀座」があり、江戸幕府の金貨鋳造を担い、各地の金銀細工業者が集い、その後両替商が集中したことからとりわけ華やいだ街並みだったとか。そんなことから、通貨として用いられる金・銀・銅はじめ、あらゆる金属類、および鉱物や宝石などの鉱石とゆかりある場所ということから、信仰を集め今日に至ります。
境内、わりと街の中心の神社らしく、周辺マンションや住宅に囲まれ、こじんまりとした空間。本殿の背景には御神木の銀杏。樹齢200年を超え、樹高約22m・幹回り2m以上ある市内有数の大樹。
昔から銀杏は、火伏せの木として知られ、さらにどんな環境下でも枯れることがなく「繁栄・発展」や「不老長寿」の象徴、末広がりの縁起物の木として知られています。
今は初夏で青い葉ですが、秋の紅葉シーズンには御金神社にふさわしく、黄金銀杏に移り変わります。
昔から銀杏は、火伏せの木として知られ、さらにどんな環境下でも枯れることがなく「繁栄・発展」や「不老長寿」の象徴、末広がりの縁起物の木として知られています。
今は初夏で青い葉ですが、秋の紅葉シーズンには御金神社にふさわしく、黄金銀杏に移り変わります。
その縁起物の銀杏をかたどった絵馬も大量に奉納されていました。それだけ、お金にまつわる願いは膨大ということですね。
本殿は撮影禁止ですが、金山毘古命(かなやまひこのみこと)を主祭神とし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読命(つきよみのみこと)の三柱神を祀る。黄金色の綱もこの神社ならではと言えるかもしれません(笑)
昨年から自分のお財布に入れていた『金』のお守り。一端こちらに奉納。
そして、今年一年お金にご縁があるように、お札とお金みくじをいただきました。
おみくじは中吉。そして、新たな『金』のお守り。またお財布に入れ、金運上昇を祈りたいと思います。これまでお金に不自由してきた人にとって必訪の神社かもしれませんね。
昨年はコロナ禍の真っただ中ということで、参拝客も少なめでしたが、この日は平日にもかかわらず次々と参拝客が集い、かつての賑わいがまた戻ってきたな、という印象。コロナ前なら国内外問わず、参拝客でいつも密な状態でした(笑)