小学校の校内にある京都市指定史跡
そんな丘陵地の上り坂途中にある小学校。授業中のようで、とても静かですが。
ちょうどこの辺りに、かつての城の石垣が残っている、とウワサに聞いてやってきました。周辺を右往左往して、ようやく発見。
学校の中に(汗)
で、史跡めぐりをしている旨を学校に伝え、本来子供たちが学校構内にいる時間帯は関係者以外立ち入り禁止ですが、今回は特別に拝見させていただきました。ですので、見学したい方はあらかじめ、学校へお問い合わせください。
ちょうどこの辺りに、かつての城の石垣が残っている、とウワサに聞いてやってきました。周辺を右往左往して、ようやく発見。
学校の中に(汗)
で、史跡めぐりをしている旨を学校に伝え、本来子供たちが学校構内にいる時間帯は関係者以外立ち入り禁止ですが、今回は特別に拝見させていただきました。ですので、見学したい方はあらかじめ、学校へお問い合わせください。
学校の外側から見えていましたが、こちらがその石垣。
京都市登録史跡『伏見城石垣』と石標があり、駒札も。昭和59年(1984年)に登録。
一見、花壇の仕切りかと思ってよくよく見ると、まぎれもなく古そうな石積み。
駒札の説明書きの通り、昭和52年(1977年)に学校から北に約300メートル離れた桃山町紅雪で工事中偶然発見されたものだそうです。石垣100メートル分のうちの保存状態のいい15メートル分を移築。
元禄5年(1596年)に天下統一を果たした豊臣秀吉が築いた伏見城の石垣と考えられ、後に徳川幕府の命令で廃城、解体されますが、発見されたものは土台部分の地中に埋まっていたものだったようで、残っていたものと推定。
元禄5年(1596年)に天下統一を果たした豊臣秀吉が築いた伏見城の石垣と考えられ、後に徳川幕府の命令で廃城、解体されますが、発見されたものは土台部分の地中に埋まっていたものだったようで、残っていたものと推定。
石は全て花崗岩で、1つの重さ、1~25トン。
石には石材を割る際に使った道具の痕跡である穴(矢穴)や、石垣を積んだ大名家を表す印が残されていたり。
京都市内には、他にも学校の校内に市の登録史跡があったりする場所もあり、史跡の多い京都ならではな光景とも言えます。
京都市内には、他にも学校の校内に市の登録史跡があったりする場所もあり、史跡の多い京都ならではな光景とも言えます。
伏見城石垣 へのツイート
「伏見城の石垣」
— はーいなーに (@8z6vHgxWoVrFTa4) September 28, 2019
京都・桃山東小学校内
学校から北に300m先での工事中に偶然発見された石垣です。長さ100mのうち良く残っている15m分を移築したもので、市の史跡に登録されています。勝手に学校内に入ってはいけません! pic.twitter.com/O8iuyDoGhC
基本情報
住所:京都市伏見区桃山町伊庭35
所在施設: 京都市立桃山東小学校(075-621-1411)
【注意】見学の場合は学校の許可を取ってください。
所在施設: 京都市立桃山東小学校(075-621-1411)
【注意】見学の場合は学校の許可を取ってください。
そして、最近では令和元年、天皇陛下御即位の際、両陛下が参拝された伏見桃山陵(明治天皇陵)も近くにあります。