京都検定必須の難読地名&冬の味覚一大ブランド『間人』
京丹後市は2004年(平成16年)に6つ町、竹野郡網野町、竹野郡丹後町、竹野郡弥栄町、中郡峰山町、中郡大宮町、熊野郡久美浜町が合併して誕生。なので、それぞれの町で歴史や趣きが違い、マンホールの絵柄も違います。
そして、やってきた間人漁港。この時はすでに夕方だったので、漁港には全く人影なく閑散としていました。
『間人』はよく京都の難読地名の代表格として挙げられる場所ですが、これで『たいざ』と読みます。読めねー(笑)そして、間人は京丹後市の丹後町にあります。
地名『間人』の由来は、6世紀末に大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避けるため、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女が現在の丹後町間人に避難したと伝わり、争乱が収まり皇女がこの地を去る際に自らの名を地名に贈ったものの、地元民が「間人(はしうど)」と呼び捨てにするのを畏れ多く感じ、「退座(たいざ)」に由来して「たいざ」と読み替えたという説が一番有力とされています。
『間人』はよく京都の難読地名の代表格として挙げられる場所ですが、これで『たいざ』と読みます。読めねー(笑)そして、間人は京丹後市の丹後町にあります。
地名『間人』の由来は、6世紀末に大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避けるため、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女が現在の丹後町間人に避難したと伝わり、争乱が収まり皇女がこの地を去る際に自らの名を地名に贈ったものの、地元民が「間人(はしうど)」と呼び捨てにするのを畏れ多く感じ、「退座(たいざ)」に由来して「たいざ」と読み替えたという説が一番有力とされています。
そして、間人港。途中に展望台がありましたが、この時はフツーに立っていられないほどの強風と雨、そして激しく岩場に打ち付ける高波でたどり着けず。ちょっとマイルドな東尋坊のような様子でした(笑)空は晴れ間も見えるほどでしたが。
冬の日本海は荒れやすく、漁に出られる日も限られ、実際この数日前は漁に出られない日が続いている、という話を鮮魚店でもうががったり。
冬の日本海は荒れやすく、漁に出られる日も限られ、実際この数日前は漁に出られない日が続いている、という話を鮮魚店でもうががったり。
なので、冬の味覚の一大ブランド・間人ガニも貴重と言え、その希少性もあり高値で取引されるのも理解できるような、きびしい冬の日本海。
海岸線には景勝地・立岩や、天気予報でもお馴染みの丹後半島最北端の経ヶ岬、そして間人ガニと温泉を楽しめる旅館もあり、ありきたりな京都旅行に飽きた京都ツウにこそ、訪れてほしい場所と言えるかもしれませんね。
海岸線には景勝地・立岩や、天気予報でもお馴染みの丹後半島最北端の経ヶ岬、そして間人ガニと温泉を楽しめる旅館もあり、ありきたりな京都旅行に飽きた京都ツウにこそ、訪れてほしい場所と言えるかもしれませんね。
その京丹後市にある峰山町で、冬の味覚・ズワイガニのメス・セコガニを入手。で、せっかくここまで来たのだから、とズワイガニの一大ブランド『間人』に行ってみよう!ということで、一路車で間人港へ。