京都御苑・九条邸跡の唐破風鳥居「厳島神社」
太秦のパワースポット神社!神秘的で珍しい三本鳥居や石室も☆「蚕の社(木嶋神社)」
地下鉄・太秦天神川駅から徒歩5分ほどの通称「蚕の社」でおなじみの神社。正式名称は「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」。
創建は不詳ながら、推古天皇12年(604年)が、広隆寺創建に伴い勧請したとの説も。嵯峨野・太秦一帯を開拓した渡来系氏族・秦氏ゆかりの神社ともいわれています。
その境内、元糺の森、元糺の池にある「三柱鳥居(みはしらとりい)」。通称「三本鳥居」。3方から中心の神座を拝むことを可能とする珍しい形式の鳥居。
歴史ある神社で、他にも古墳の思わせるような石室のある末社、白清神社もあり見どころ満載。
創建は不詳ながら、推古天皇12年(604年)が、広隆寺創建に伴い勧請したとの説も。嵯峨野・太秦一帯を開拓した渡来系氏族・秦氏ゆかりの神社ともいわれています。
その境内、元糺の森、元糺の池にある「三柱鳥居(みはしらとりい)」。通称「三本鳥居」。3方から中心の神座を拝むことを可能とする珍しい形式の鳥居。
歴史ある神社で、他にも古墳の思わせるような石室のある末社、白清神社もあり見どころ満載。
名称:蚕の社(木嶋神社)
場所:京都市右京区太秦森ケ東町50−1
電話番号:075-861-2074
場所:京都市右京区太秦森ケ東町50−1
電話番号:075-861-2074
北野天満宮・末社の蓮弁形鳥居「伴氏社(ともうじしゃ)」
学問の神様・菅原道真を祀る北野天満宮の参道途中にある末社。新元号『令和』ともゆかりがあり、今注目スポット。
道真公の母君は大伴氏の出身で、古来北野付近は大伴氏の所領と伝えられていて、この伴氏社は代々大伴氏を弔う祖廟として崇められてきました。
新元号『令和』は万葉集から引用して命名されたことから、最近万葉集が注目を集めていますが、大伴氏は万葉集の中にも登場する古代氏族。そして菅原道真公も万葉集に深くかかわった人物で、
別名『菅家万葉集』とも呼ばれる「新撰万葉集」も撰じています。
そんな社にある柱台石が蓮弁形の鳥居。鎌倉時代の遺構として国の重要美術品にも指定される珍鳥居は必見。
道真公の母君は大伴氏の出身で、古来北野付近は大伴氏の所領と伝えられていて、この伴氏社は代々大伴氏を弔う祖廟として崇められてきました。
新元号『令和』は万葉集から引用して命名されたことから、最近万葉集が注目を集めていますが、大伴氏は万葉集の中にも登場する古代氏族。そして菅原道真公も万葉集に深くかかわった人物で、
別名『菅家万葉集』とも呼ばれる「新撰万葉集」も撰じています。
そんな社にある柱台石が蓮弁形の鳥居。鎌倉時代の遺構として国の重要美術品にも指定される珍鳥居は必見。
いかがでしたか?
神域と人間が住む俗界を区切る結界を示す鳥居。その起源は諸説あり、もともとは木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えられ、8世紀ごろには現在の形が確立されたとか。さらに時代を経て、その構造や形式も変化し、調べ出すと奥が深い鳥居。
鳥居の歴史を紐解きながら、訪れて頂きたい京都三珍鳥居です!
神域と人間が住む俗界を区切る結界を示す鳥居。その起源は諸説あり、もともとは木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えられ、8世紀ごろには現在の形が確立されたとか。さらに時代を経て、その構造や形式も変化し、調べ出すと奥が深い鳥居。
鳥居の歴史を紐解きながら、訪れて頂きたい京都三珍鳥居です!
そんな一角にある九条邸跡。
五摂家の一つである公家・九条家は藤原北家嫡流の藤原忠通の三男である九条兼実を祖とし、平安末期より多くの摂政や関白を輩出した名家。
さらにその敷地内にある厳島神社。広島の厳島神社の分社の一つ。かつての九条家の鎮守社であり、平清盛が厳島大神を兵庫築島に勧請し、後に足利義晴が京都に移したのが始まりとなる神社。その唐破風型の鳥居。他にはない意匠。