まさに見頃☆境内には老舗スイーツの期間限定茶屋も
この日は「毘沙門市」なる、地元のご当地グルメが集結し、境内に賑わう出店。
すぐ食べられそうなおでんや出汁巻き。
参道途中にあるちりめん山椒『京小町もり』。上品なお味に炊きあげられたちりめん山椒でした。
さらに、三条通沿いにあるインド料理店『RAJU』のカレーなど。バラエティー豊か。
そして本堂へ行く前に、紅葉撮影スポットである石段。JR東海『そうだ京都、行こう。』のポスターになったり、NHKが生中継にも訪れた名物スポット。
多くの観光客が撮影されていました。多少グラデーション残しつつ、ちょうど見頃といってもいい状態。
天候などのタイミングが良ければ、かつてはこんな風景も撮影でき、通称・赤絨毯がこちらの紅葉の代名詞にもなっています。
さらに、本堂へ続く石段。こちらはちょっと急こう配の石段で息が上がるほど(笑)見上げるもみじのトンネルもグラデーションがかり、いい具合です。
正面に本堂。延暦寺根本中堂のご本尊薬師如来の余材をもって、天台宗の宗祖・伝教大師(最澄)自ら彫ったと伝わる毘沙門天像がご本尊として祀られています。
毘沙門堂の歴史は古く、大宝3年(703年)に行基によって創建されたと伝わり、当初は京都の出雲路(上京区)にあり「出雲寺」と呼ばれていましたが、平安時代末期に荒廃し、鎌倉時代初期に平親範によって再建。
江戸時代初期には、天台宗の僧・天海によって現在の山科に移転・復興。天海の弟子・公海がその後を引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成。この時期に毘沙門天を本尊としたことから『毘沙門堂』と呼ばれるように。
毘沙門堂の歴史は古く、大宝3年(703年)に行基によって創建されたと伝わり、当初は京都の出雲路(上京区)にあり「出雲寺」と呼ばれていましたが、平安時代末期に荒廃し、鎌倉時代初期に平親範によって再建。
江戸時代初期には、天台宗の僧・天海によって現在の山科に移転・復興。天海の弟子・公海がその後を引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成。この時期に毘沙門天を本尊としたことから『毘沙門堂』と呼ばれるように。
境内の東側、高台弁財天。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後北政所(ねね)が高台寺に移し祀っていた弁才天を公弁親王によりここに勧請。
豊臣秀吉の母大政所が大阪城内で念じ、落城後北政所(ねね)が高台寺に移し祀っていた弁才天を公弁親王によりここに勧請。
高台弁財天横、特にこの本堂裏手、江戸初期の回遊式庭園『晩翠園』まわりの紅葉が水面に映し出された風景が撮影ポイントでもあり。
さらに本堂の西側にも赤々ともみじが。
お寺の駐車場側。ここに老舗洋菓子『バイカル』の茶屋が期間限定(12月7日まで)で営業中。茶屋では洋菓子はもちろんのこと、カレーや湯葉あんかけ丼などの軽食を提供中。
そして、ここ毘沙門堂限定のもみじサブレも販売中。1箱10枚入り1000円。
試しに購入してみました。個包装タイプのサブレにはもみじ柄があしらわれており、サクサクとした食感で甘さ控えめ。お茶請けにピッタリ。秋の京都のお土産にも良さそうですね。
参道から外れた毘沙門堂付近の住宅街で、こんな無人販売の無農薬ゆずを見かけました。4個100円と破格で、しかもゆず風呂にそのまま使えそうなネット入りに。冷蔵庫保管して冬至湯に使いたいと思います(笑)
このような、街中の紅葉名所にはない牧歌的風景にも出会え、比較的混雑も少ない紅葉スポット。ご参考に。
このような、街中の紅葉名所にはない牧歌的風景にも出会え、比較的混雑も少ない紅葉スポット。ご参考に。
ちょうど紅葉も見頃を迎えているかとやってきました。12月1日撮影。