【京都ツウ】近代建築に使用された不思議な『×』印レンガの謎☆日本の産業遺産「岸和田煉瓦」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区深草の公園にある史跡。日本の近代建築の礎となったレンガ。

目次

日本の近代建築の草分けとなった『×』印のレンガ

伏見区深草。すぐ近くには京阪・鳥羽街道駅もある十条通り沿い。そして琵琶湖疏水も見える場所。そんな場所に「高松橋ひろば」と呼ばれる公園があります。

特に遊具があるわけでもありませんが、ベンチがあり、周辺住民の憩いの場として活用されているような、そんな場所。

その公園脇に何やらいろいろと案内板が設置。こちらは健康長寿のために疏水沿いを歩こう!ということで設置されたものなのか、その疏水に架かる橋の平成28年末時点の年齢、つまり橋が建てられた年数がわかるようになったもの。

ちなみに、このすぐ近くにある高松橋は1歳で、橋の中でも赤ちゃんレベル。一番古いものでも93歳で現在令和5年の時点では100歳にもなるご長寿橋ということになります。それだけ疏水の歴史が古いことを物語っているわけですが。

そして琵琶湖疏水は、琵琶湖の湖水を滋賀県大津市から京都市へ流すため明治時代に作られた水路。京都の近代化に大きく寄与し、 一部国の史跡に指定されている産業遺産。といっても、現在も現役で利用されている産業建築。

さらにレンガ敷きスペースとともに、駒札があり『岸和田煉瓦』と書かれています。

説明によると、このレンガは明治26年(1893年)創業の大阪岸和田にあった岸和田煉瓦株式会社の京都支店で製造されたもので、日本の近代化に貢献したレンガ産業の草分け的存在とか。

当時、山科区に琵琶湖疏水事業の礎となったレンガ工場が建てられ、そこで疏水に使うレンガを生産。地下鉄御陵駅に、その工場跡を示す石碑もあります。

そんな岸和田煉瓦には、ちょっと変わった特徴があります。創業者であった山岡尹方(やまおかただかた)がクリスチャンであったことから、十字架をモチーフにした『×』印の社章が刻印されています。

一部他の会社で製造されたものもあり、それぞれ形の異なる刻印が散見されます。その特徴から、明治時代末期に手整形で作られてものと考えられています。

琵琶湖疏水の管理用通路の改修の際撤去されましたが、その後地域住民の協力により、このようにこの場所に展示されるようになりました。

この岸和田煉瓦は明治以降、日本の近代化の象徴として主要な建造物に多用され、京都では他、国の登録文化財に指定される同志社女子大ジェームズ館でも使用が確認されています。古いレンガ造りの近代建築を見かけたら、ぜひ『×』印を探してみてください!

詳細情報

名称:岸和田煉瓦
場所:京都市伏見区深草下高松町11−5