2009年に本格的に出土した幻の城『指月城跡』
その一角にあるこちらのマンション。比較的最近建設されたのか、わりと新しい雰囲気のマンションですが。
最近のマンションにしては、ちょっと原始的な石垣。石組みがわりとゆるいというか(笑)
最近のものなら、もっと緻密に組み合わされてたり、隙間なくコンクリートで埋まってたりしますが。
最近のものなら、もっと緻密に組み合わされてたり、隙間なくコンクリートで埋まってたりしますが。
その横にパネルがあります。
じつはこちら、天下人となった戦国武将・豊臣秀吉が築城した伏見城の一つである『指月城』跡。一般的に知られる伏見城は桃山城(徳川期築城)にあたりますが、伏見城はこの周辺に三度建設。その一つがこの『指月城』。
じつはこちら、天下人となった戦国武将・豊臣秀吉が築城した伏見城の一つである『指月城』跡。一般的に知られる伏見城は桃山城(徳川期築城)にあたりますが、伏見城はこの周辺に三度建設。その一つがこの『指月城』。
1592年(文禄元年)秀吉が月の名所として知られるこの場所に、隠居後の住まいとして城を建設開始。それがこの指月伏見城。さらに秀頼誕生を契機に本格的な城郭として整備が進められました。
しかし、その4年後、慶長伏見地震で城が倒壊。その後、その近隣に木幡山伏見城を再建。さらにその木幡山伏見城は、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建。
しかし、その4年後、慶長伏見地震で城が倒壊。その後、その近隣に木幡山伏見城を再建。さらにその木幡山伏見城は、伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建。
その指月伏見城の確実な遺構が見つかったのが、比較的最近で2009年のこと。それがこの石垣なんだそうです。
かつて、城の東側には舟入場もあり、宇治川を経て淀川へと抜け、大阪へと続く水運も備えられていました。未だ発掘調査過程で、数々の新事実もわかり、歴史ファンには注目スポットでもあり。
天下人・豊臣秀吉の目線で周辺を散策してみるにも、興味深いスポットです。
かつて、城の東側には舟入場もあり、宇治川を経て淀川へと抜け、大阪へと続く水運も備えられていました。未だ発掘調査過程で、数々の新事実もわかり、歴史ファンには注目スポットでもあり。
天下人・豊臣秀吉の目線で周辺を散策してみるにも、興味深いスポットです。
指月城 へのツイート
奈良の自宅に戻った機会を利用し、京都市伏見区の指月城跡発掘の現地説明会をのぞいてきました。2015年にマンション建設予定地で西向きの石垣が見つかり、1596年の慶長伏見地震で倒壊した豊臣秀吉の最初の伏見城=指月城の堀のものと考えられていましたが、実は内堀はより東まで広がっていたようです。 pic.twitter.com/mDw6QNX7HZ
— 今井邦彦 Kunihiko Imai (@imaikuni) September 23, 2019
基本情報
名称:指月城跡
住所:京都市伏見区桃山町泰長老126−27
住所:京都市伏見区桃山町泰長老126−27
周辺には団地が立ち並び、閑静な住宅街。少し丘陵地帯になっていて、緩やかな坂を上っていきます。