ひっそりとした霊験あらたかな東山のロケーション
さらに山沿いに向かうと石橋の先にお寺が。
とても静かで、東山トレイルのルートもすぐ近くにある、京都市内とは思えない自然を感じるロケーション。
とても静かで、東山トレイルのルートもすぐ近くにある、京都市内とは思えない自然を感じるロケーション。
別名・ゆな荒神社とも呼ばれ、安産祈願にもご利益があるようです。
弘法大師(空海)が大同元年(806年)、三宝荒神をこの地に祀ったのが始まりで、その数百年後の鎌倉時代、泉涌寺の長老、月翁(「がつおう」または「がっとう」)律師が、藤原信房の帰依を受けて諸堂を建立し、来迎院の開山に。
山と一体になったかのような石段の先には荒神堂が。
途中、弘法大師像が。
お願い事を書いた石を持って、お大師像の周りを3回まわって、石碑の梵字に石を当てて祈願するというもの。
荒神堂。弘法大師が自分の手で彫ったとされる三宝大荒神は日本最初の荒神様。現在は国立京都博物館が管理。
応仁の乱(1468)で伽藍は消失。前田利家らの尽力により再興され、江戸時代の元禄十四年、赤穂浪士でおなじみの大石内蔵助の親族であった泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職に。そして、その頃に浅野内匠頭が江戸城中で切り付けられた「忠臣蔵」で有名な事件が発生。
応仁の乱(1468)で伽藍は消失。前田利家らの尽力により再興され、江戸時代の元禄十四年、赤穂浪士でおなじみの大石内蔵助の親族であった泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職に。そして、その頃に浅野内匠頭が江戸城中で切り付けられた「忠臣蔵」で有名な事件が発生。
弘法大師独鈷水。仏具である独鈷で、弘法大師が掘り当てたとされる井戸。
観音開きになっていて、中には横穴の洞窟状になった井戸。奥に澄み渡る水が湧き、目の不自由だった女官がこの水で目を洗ったところ、たちまち目が見えるようになったという伝説の霊水。なので、様々な病の治癒を祈願しに、このお水をいただきに来る人が絶えないんだとか。
鎮守社、三宝大明神。
祠のすぐ横にある宝船には無数の布袋さんの伏見人形が。
昔の京都の家では、布袋さんを台所にお祀りし、1年毎に大きくして家内安全の祈願。今でも古い京町家の台所には段々大きくなっていく布袋人形を見かけることあり。
昔の京都の家では、布袋さんを台所にお祀りし、1年毎に大きくして家内安全の祈願。今でも古い京町家の台所には段々大きくなっていく布袋人形を見かけることあり。
大石内蔵助ゆかりのお寺ということで、内蔵助建立の茶室も境内にはありましたが、この日はお留守のようで、拝観叶わず。また暖かい季節になったらお抹茶をいただきに参りたいと思います。
来迎院 へのツイート
来迎院も行かれたんですね。月一度の茶会の日でしたか。来迎院には空海の独鈷水が湧いていてそれを使っています。荒神様の下の祠の黒い扉を開けると水の湧き出る長い横穴があって、そこから長い柄杓で掬って飲めるんですが… pic.twitter.com/Zm7vXv8f5n
— モトキ (@monkey9ri) 2018年2月24日
そんな途中道の今熊野観音寺へ向かう参道。