通称『花の寺』は主役を紫陽花から蓮の花へ☆
何度か今まで訪れたことがあり、主に紫陽花の時期に来ることが多かったのですが、今回は蓮の花目的でやってきました。紫陽花が有名すぎて忘れられがちですが、蓮の花の名所でもあり。
この日は炎天下で、一部紫陽花もまだ残っていましたが、強烈な日差しにさらされぐったり気味でした。
この日は炎天下で、一部紫陽花もまだ残っていましたが、強烈な日差しにさらされぐったり気味でした。
境内にはツツジや紫陽花が楽しめる広大な庭園がありますが、あじさい園は7月6日に終了。
そして、本堂は石段の先にあります。木々の緑の蛍光感からも、この日の日差しの強さがうかがえます。
そして、本堂前に広がる蓮園。
250鉢の蓮が並び、珍種の蓮『大洒錦』、大賀ハス、古代バス、青円寺ハス、陽山紅、ミセススローカムなど100種が6月下旬~8月上旬にかけて順次開花。こうしてみると鉢植えとは思えないほど境内を埋め尽くし、凡そ蓮池に浮かぶ本堂のような極楽浄土感もあり。
250鉢の蓮が並び、珍種の蓮『大洒錦』、大賀ハス、古代バス、青円寺ハス、陽山紅、ミセススローカムなど100種が6月下旬~8月上旬にかけて順次開花。こうしてみると鉢植えとは思えないほど境内を埋め尽くし、凡そ蓮池に浮かぶ本堂のような極楽浄土感もあり。
花の開花もまちまちで、つぼみ状のものや開ききったものまで。ちなみに蓮の花は午前中だけしか開花しないそうなので、花を目的にお参りされる方はぜひ午前中に。
創建は奈良時代・宝亀元年(770年)、光仁天皇の勅願により僧・行表が開山。御本尊には千手観音(秘仏)を祀り、「御室戸寺」と称されたのが始まり。
平安時代には花山法皇が離宮を設け、寺を西国三十三所の第十番札所に定め、「三室戸寺」へ改称。
その後の火災で伽藍を失い本堂が再建されるも、天正元年(1573年)織田信長に敵対して槙島城に立て籠もった将軍足利義昭の味方をしたために寺領を没収され衰退。
寛永16年(1639年)、道晃法親王により復興し、現在の本堂は江戸時代後期に法如和尚によって再建された、重層入母屋造の建物で千手観音立像を安置。
平安時代には花山法皇が離宮を設け、寺を西国三十三所の第十番札所に定め、「三室戸寺」へ改称。
その後の火災で伽藍を失い本堂が再建されるも、天正元年(1573年)織田信長に敵対して槙島城に立て籠もった将軍足利義昭の味方をしたために寺領を没収され衰退。
寛永16年(1639年)、道晃法親王により復興し、現在の本堂は江戸時代後期に法如和尚によって再建された、重層入母屋造の建物で千手観音立像を安置。
近年には庭園「与楽苑」が中根金作によって作庭され、『花の寺』としての知られるように。
授与所では花ごとの御朱印や限定切り絵御朱印など、旅の記念にもなりそうなものも授与されています。暑い盛りでも、蓮の花の極楽浄土感に癒されるお寺ですね。
京都屈指の紫陽花の名所として知られ、別名『あじさい寺』とも呼ばれるお寺。さらに、ツツジの名所でもあり、季節の花を楽しめる境内が人気。