紅葉スポットとしても名高い寺院
智積院の由来は南北朝時代にさかのぼり、紀州根来の寺院大伝法院(現・根来寺)の塔頭で僧・真憲坊長盛が建立した根来山内の学問所。大伝法院は高野山に創建された寺院でしたが、教義上の対立から高野山を去り紀州に移転。
その後、豊臣秀吉の時代になり、寺は秀吉と対立。天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上。当時根来寺は2,700もの堂舎を誇る巨大寺院。塔頭であった智積院の住職玄宥は弟子たちを引き連れて寺を脱出し高野山に逃れ、再興の機会をうかがいつつも叶わず十数年が過ぎる。
その後、豊臣秀吉の時代になり、寺は秀吉と対立。天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上。当時根来寺は2,700もの堂舎を誇る巨大寺院。塔頭であった智積院の住職玄宥は弟子たちを引き連れて寺を脱出し高野山に逃れ、再興の機会をうかがいつつも叶わず十数年が過ぎる。
その後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康により、東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を与えられ、智積院はようやく復興。さらに豊臣が滅び、隣接地にあった禅寺・祥雲寺の寺地も与えられてさらに規模を拡大。祥雲寺は秀吉が3歳で死去した愛児鶴松の菩提寺として建立したお寺で、現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿に飾られていたもの。
ちょうど11月22~27日まで夜間特別拝観実施中ですね。今回は昼間の様子になりますが。
金堂へと続く参道はまさに錦色。木々も銀杏、モミジなどあり、開放的景観。
そして、今年は秋でも暑い日が続いたせいか、まだ参道には名残りの桔梗。寺紋にもなっているシンボル的花。
金堂。ここにはご本尊は金剛界大日如来、地下には胎蔵界大日如来が祀られています。幕には智積院の寺紋である桔梗紋。
桔梗紋の由来は、築城の名手して知られる加藤清正が祥雲寺を建立の際造営奉行を担ったことから、清正に愛用されていた桔梗紋が祥雲寺の寺紋となり、それを智積院で引き継いで現在に至ります。
桔梗紋の由来は、築城の名手して知られる加藤清正が祥雲寺を建立の際造営奉行を担ったことから、清正に愛用されていた桔梗紋が祥雲寺の寺紋となり、それを智積院で引き継いで現在に至ります。
そして、五色幕と紅葉グラデーションのかかったモミジが、なんとも映える取り合わせ。
さらに、紅葉を目当てに来る観光客が一番集中して撮影していたのが、こちらの鐘楼堂。
釣鐘は「智専の鐘」とも呼ばれ、平成10年(1998年)旧宗立智山専門学校同窓生の集まりである智専会によって寄進。
釣鐘は「智専の鐘」とも呼ばれ、平成10年(1998年)旧宗立智山専門学校同窓生の集まりである智専会によって寄進。
ちょうど紅葉グラデーションに太陽光が差し、なんとも秋らしい紅葉絶景。
そして境内には変化があり、昨年2023年にオープンを果たした『宝物館』。「弘法大師空海ご誕生1250年」を記念した奉修事業の一環として建立。長谷川等伯一門による国宝障壁画の公開を行うほか、智積院が有する約8万点の収蔵品(宝物や高僧の著作など貴重な古文書)の一部を順次、公開。館内にはガイダンス映像を視聴できるスペースもあり、より深くお寺について知ることができます。
さらに、こちらは宿坊『智積院会館』。ホテル並みの快適さを誇る施設で、どなたでも利用することができ、朝のお勤めなどお寺ならではの体験もできます。
館内には宿泊客以外も利用できる食事処があり、ここでは精進料理も楽しめます。
以前宿坊体験をした際には、精進料理とは言えこんなボリューム満点な食事を頂きました。
紅葉はもちろん、宝物館や宿坊もあり、京都ならではの貴重な体験ができるお寺とも言えます。ご参考に。
紅葉はもちろん、宝物館や宿坊もあり、京都ならではの貴重な体験ができるお寺とも言えます。ご参考に。
京都駅からも比較的近い場所に立地し、紅葉スポットとしても名高い寺院。そろそろ見頃を迎えている頃かとパトロールにやってきました。11月22日撮影。