『松花堂弁当』の由来となった草庵跡
「松花堂およびその跡」と書かれています。
正式には「泉坊跡」。泉坊とは宿坊のこと。
江戸時代初期、石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ「松花堂」という方丈の建っていた宿坊跡地。
瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから松花堂昭乗と呼ばれるように。
江戸時代初期、石清水八幡宮の社僧・松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ「松花堂」という方丈の建っていた宿坊跡地。
瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから松花堂昭乗と呼ばれるように。
こちらがその宿坊の中の茶室「松花堂」跡。
もしや、これが松花堂弁当の由来か!と、この正方形にだまされてしまいそうですが、ちがいます(笑)
松花堂弁当(しょうかどうべんとう)はよく日本料理に登場するお弁当で、中に十字形の仕切りがあり、縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当のことを言います。こんなやつ。
松花堂昭乗は、農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作り、絵具箱や煙草盆として活用。
それから数百年後の1933年ごろ、茶人・貴志彌右衛門の茶室「松花堂」で茶事が催された折、日本屈指の名料亭「吉兆」の創始者・湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じたのがはじまりで、以来松花堂弁当という名が定着した、と言われています。
松花堂弁当の名前の由来がこんなところにあったとは、驚きですね。
それから数百年後の1933年ごろ、茶人・貴志彌右衛門の茶室「松花堂」で茶事が催された折、日本屈指の名料亭「吉兆」の創始者・湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当をつくるようにと命じたのがはじまりで、以来松花堂弁当という名が定着した、と言われています。
松花堂弁当の名前の由来がこんなところにあったとは、驚きですね。
松花堂跡 へのツイート
ケーブル一瞬やったから歩いて降りてきた。しんどい😂💦
— かつとし(・∀・) (@katsu241) 2018年4月8日
緑深くて雰囲気ある。
松花堂弁当でお馴染みの松花堂跡。
降りてきたら自然の川利用したおしゃんな旅館の廃墟あった。 pic.twitter.com/5f8pHj1P1H
詳細情報
住所:京都府八幡市八幡高坊
詳細サイト:http://www.iwashimizu.or.jp/about/keidai.html
詳細サイト:http://www.iwashimizu.or.jp/about/keidai.html
表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、石清水社へと向かう途中にある史跡。