巨大な石仏の脇に建つ京都市の登録史跡
その街道、今出川通りを越え、さらに北東へ向かうと、以前にもご紹介したことのある大きな石仏が。豊臣秀吉を負かした伝説の観音さんとして知られる、交通の安全祈願の「子安観世音」があります。
こちらは今出川通りに分断された街道の南西側がこちら。
こちらにも古い石造りの道標があります。高さもあり、割りと目立つ造り。
京都市の登録史跡にも指定。書体の感じからもその古さがうかがえますが、嘉永2年(1849年)に建てられたものだそうです。
これまでご紹介してきた道標と同じく、向かう方向面に、その行先が記されています。
南、左 三条大橋 祇園 清水 知恩院 東西本願寺
南、左 三条大橋 祇園 清水 知恩院 東西本願寺
西面には すく 比ゑいさん 唐崎 坂本 嘉永二年己酉仲夏吉辰願主 某 石工権左衛門。
すく、てスグ?と思ってたんですが、『まっすぐ』のこと。さる考古学者の方から教えていただきました。
すく、てスグ?と思ってたんですが、『まっすぐ』のこと。さる考古学者の方から教えていただきました。
北面には 北 右 北野天満宮 平野社 下上加茂 今宮 金閣寺。
東面は見えづらく、撮影できませんでしたが、吉田社 真如堂 銀閣寺 黒谷と書かれているようです。
東面は見えづらく、撮影できませんでしたが、吉田社 真如堂 銀閣寺 黒谷と書かれているようです。
そして、道標の横に、道標以上に目立つお地蔵さまが2つ。
お地蔵さんではなく、大日如来石像ですね。かなり立派なもので、ご近所の方がお供えのお花や水を管理されているようです。今では今出川通りの方が目立ち、静かな雰囲気の街道ですが、かつては多くの人がここを行き来していたんだろうな、と想像するに難くない立派な石仏と道標が同居する場所でもあり。
北白川西町道標へのツイート
北白川西町道標。先日投稿の仲良し地蔵さんの横にきりっと威厳正して直立。嘉永2(1846)年のもの。かなりざっくりした道案内ながら、当時は水田の広がる農村地帯、街道をゆく人のよい案内係になっていたことだろうな。今はやや物置感(笑)でも立派な京都市指定登録文化財(史跡)なのです。 #京都 pic.twitter.com/jTVhOGls5C
— 粟津サヤカ (@off_hours4tw) April 15, 2019
基本情報
名称:北白川西町道標
住所:京都市左京区北白川西町83−4
住所:京都市左京区北白川西町83−4
『京の七口』で知られる、荒神口から滋賀へ抜ける街道。今では途中、京都大学のキャンパスや今出川通りで分断され、古い街道を意識することも少なくなっていますが。