『天下無敵必勝利運』の穴場パワースポット
上京区新町通今出川下った場所にある社『霊光殿天満宮』。たまたま以前この新町通を通った時、なんともただならぬ雰囲気で不思議なパワーを感じる鳥居を見つけ、今まで気づかずに通り過ぎてましたが、こんな場所に神社があったことを知り、改めてやってきました。
平安中期 菅原道真公没後150年の寛仁2年(1018年)、菅原道真の6代後の子孫にあたる菅原義郷が勅命により、かつて道真の領地であったとされる河内国若江郡(現大阪府堺)に神殿を建てたのが始まり。
道真が左遷の際、天から一条の光とともに天一神・帝釈天が降臨したとの伝説に由来し、この社名『霊光殿』が名付けられたとか。
そして、扁額には力強い字面で『天下無敵必勝利運』とあります。
元寇・蒙古襲来の際、後宇多天皇が当社にて必勝祈願をしたところ、元の船がことごとく沈んだことから、天皇から賜ったとか。その後、応仁の乱の際には社領を失い、東寺境内に移転。
さらに戦国武将・徳川家康の信仰厚く、元亀元年(1570年)には天下太平の祈願をし、若江家の再興に尽力した。寛永13年(1636年)、徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移し、御祭神に。
元寇・蒙古襲来の際、後宇多天皇が当社にて必勝祈願をしたところ、元の船がことごとく沈んだことから、天皇から賜ったとか。その後、応仁の乱の際には社領を失い、東寺境内に移転。
さらに戦国武将・徳川家康の信仰厚く、元亀元年(1570年)には天下太平の祈願をし、若江家の再興に尽力した。寛永13年(1636年)、徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移し、御祭神に。
この時は休日の朝でしたが、境内には誰も参拝客はおらず、周囲一般住宅に囲まれ、こじんまりと静かな様子。
手前に社務所らしき建物がありましたが、この時は不在の様子。この後、掃除をされるご高齢の男性があらわれ、聞くとご自身が氏子でここを管理されているんだとか。御朱印もあるようでしたが、この時御朱印帳を持参していなかったので、また再訪することにして。
中央には小さな舞殿があります。
そして、こちらが本殿。菅原道真と徳川家康が祀られています。この御神牛像からは菅原道真色を感じます。
江戸時代に社家の若江家が再興され、現上京区塔之段に社殿を再建。そして宝暦11年(1761年)に現在地に鎮座。現在の社殿は、明治5年に近衛家の旧鎮守社を移築したものだとか。小さいお社に屋根が施された様子の造り。
その内側。かなり古い彩色の絵が飾られ、さらにおみくじの原型のような表示がありました。昔のものがそのまま残っているんですね。
そして、金色の灯篭には徳川家の家紋である三つ葉葵。
それにしても、学問の神様として知られる菅原道真と戦国乱世に終止符を打ち江戸幕府を開いた徳川家康。そんな歴史上のツートップがここに祀られているなんて、最強パワースポットと言っても過言ではないような(笑)
それにしても、学問の神様として知られる菅原道真と戦国乱世に終止符を打ち江戸幕府を開いた徳川家康。そんな歴史上のツートップがここに祀られているなんて、最強パワースポットと言っても過言ではないような(笑)
境内には数々の石碑があり、こちらは大正の頃京都にあった呉服屋さんで今は沖縄で呉服店を営まれている老舗から当時贈られたもの。
天下無敵レベルの必勝利運にあやかりたい方は必訪の神社かもしれませんね。
天下無敵レベルの必勝利運にあやかりたい方は必訪の神社かもしれませんね。
詳細情報
名称:霊光殿天満宮
場所:京都市上京区徳大寺殿町365
電話:075‐431‐4763
場所:京都市上京区徳大寺殿町365
電話:075‐431‐4763