ネズミの食害から丹後ちりめんを守る狛猫
石段登る手前にある手水舎。大瓶に清らかな水を湛えていました。
その参道両脇に池があり、鯉にまじり、亀が大量に甲羅干し。
石段を登り切って神門をくぐると、もう一つの石段側につながり、小さな祠の末社・木嶋神社が。
文政13年(1830)ちりめん織業者が藩の許可を得て山城国(現在の京都市内)の木嶋神社「蚕ノ社」から養蚕の神様を勧請。
ここ峰山は丹後ちりめん発祥地で、丹後ちりめんは享保5年(1720)に創織された絹織物。当時、日本国内最大シェアを誇り、のちの西陣お召ちりめんの原型に。
文政13年(1830)ちりめん織業者が藩の許可を得て山城国(現在の京都市内)の木嶋神社「蚕ノ社」から養蚕の神様を勧請。
ここ峰山は丹後ちりめん発祥地で、丹後ちりめんは享保5年(1720)に創織された絹織物。当時、日本国内最大シェアを誇り、のちの西陣お召ちりめんの原型に。
そんな絹織物のさかんな土地に勧請された木嶋神社。その両側に鎮座する注目の狛猫。その理由として、養蚕に大敵なネズミの食害を防ぐために天敵である猫を象り、守護神として狛猫を奉納したんだとか。
最初、狛猫が存在すると聞いたとき、わりと新興の神社かな?と想像したりしていましたが、狛猫の歴史は古く、天保3年(1832)に左側が奉納され、さらに弘化3年(1846)に右側も。それ以降、狛猫として扱われるように。
切実な願いが込められていたんでしょうね。
切実な願いが込められていたんでしょうね。
とはいえ、手が込んでいて子猫もいます。ネコ好きには必訪ですね(笑)
さらに石段を上ると本殿。主祭神・大物主大神を祀る。
参拝後は社務所へ。お守りや絵馬も狛猫づくし。
さらに、自分でつくるタイプの狛猫もあるみたいです。
そして、境内にある顔ハメも狛猫仕様。
おみくじは至ってフツー(笑)小吉。ネコ好きと珍狛ハンターは必訪の神社です!
この辺りを観光中、日本で唯一の珍しい『狛猫』がこの神社にあるというのでやってきました。
大鳥居をくぐると、石段が二手に。赤い神門側の石段を登っていきます。最終的には同じ場所につながりましたが。
江戸時代文化8年(1811)、代々讃岐金毘羅権現を深く信仰する旧峰山藩主・ 京極家がこの地に金毘羅社を勧請したのがはじまり。この石段の感じ、軽めではありますが本家『さぬきのこんぴらさん』を彷彿とさせます。
もともとは神仏習合神社でしたが、明治時代に入ると廃仏毀釈により、金毘羅権現の奉斎は廃止。大物主を主祭神とする神社へと改社。