伏見にある空腹時なら飯テロにもなる地名。て、なるかッ!笑
そんな交差点で信号待ちをしていて、ふと交差点の道路標識に注目。
標識には「深草飯食町」とあります。ちょうどお腹が空いていたこともあり、飯食町?メシ(゚д゚)ウマーな人が集まった町??昔ここがグルメエリアとか???と、信号待ちの間いろんな妄想を掻き立てる地名(笑)とはいえ、この周辺に飲食店が密集している、というわけでもなく。
実際には飯食町(めしくいちょう)ではなく、(いじきちょう)と読みます。
実際には飯食町(めしくいちょう)ではなく、(いじきちょう)と読みます。
で、あまりにもお腹が空いていてタイムリーな町名に、どういう由来からそんな名前がついたんだろう?と調べてみました。暇人ではないです(笑)
地名の由来には、この場所から疏水を渡った南東にある藤森神社と関係があります。藤森神社は必勝祈願の神様として知られ、さらに馬の社としても有名で、競馬ジョッキー、競馬ファンからも信仰の厚い神社。他学問の神様も。
その藤森神社の神供米を作っていたエリアが、この深草飯食町だったと伝わります。藤森神社の神田を耕し、米飯・食料をお供えにしたとの伝承も。飯食町は深草で最も古い集落で、弥生時代の原始人がこの近くにある現在の西浦町で稲作をしていましたが、飯食町に移動し古くから藤森神社の神供米を受けもち、神供米を作っていたと伝わっています。
この界隈は、京都盆地の中でもいち早く稲作が始まったということが遺跡からも確認され、当時このあたりには古代湖もあったと伝わり、今ではその片鱗すらありませんが。
そんな古い時代からの名残りが地名として残っているなんて考えにも及ばず、昔のグルメエリアとか単純発想したことを猛省(汗)平安京よりも古い時代の名残りを、こんなところで発見できるとは、面白いですね。
その藤森神社の神供米を作っていたエリアが、この深草飯食町だったと伝わります。藤森神社の神田を耕し、米飯・食料をお供えにしたとの伝承も。飯食町は深草で最も古い集落で、弥生時代の原始人がこの近くにある現在の西浦町で稲作をしていましたが、飯食町に移動し古くから藤森神社の神供米を受けもち、神供米を作っていたと伝わっています。
この界隈は、京都盆地の中でもいち早く稲作が始まったということが遺跡からも確認され、当時このあたりには古代湖もあったと伝わり、今ではその片鱗すらありませんが。
そんな古い時代からの名残りが地名として残っているなんて考えにも及ばず、昔のグルメエリアとか単純発想したことを猛省(汗)平安京よりも古い時代の名残りを、こんなところで発見できるとは、面白いですね。
基本情報
場所:京都市伏見区深草飯食町
そろそろ昼時、どこかでランチでも食べようと、自転車爆走中でした。