祇園祭期間の7月中授与される厄除けちまき
本殿。
社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建と伝わります。
社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建と伝わります。
そして、舞殿。
前祭、山鉾巡行により祓い清められた通りを、同日の夕方より八坂神社石段下から「中御座」「東御座」「西御座」の神輿が氏子地区を巡り、四条の御旅所に鎮座される『神幸祭』が催され、すでに終了しています。毎年午前中の山鉾巡行見学で体力消耗し、その様子を見たいと思いつつ、今だ叶っていないお祭り(泣)
前祭、山鉾巡行により祓い清められた通りを、同日の夕方より八坂神社石段下から「中御座」「東御座」「西御座」の神輿が氏子地区を巡り、四条の御旅所に鎮座される『神幸祭』が催され、すでに終了しています。毎年午前中の山鉾巡行見学で体力消耗し、その様子を見たいと思いつつ、今だ叶っていないお祭り(泣)
山鉾町主催の祭りは雅な印象の行事が大半ですが、こちら八坂神社主催の神幸祭・還幸祭は氏子たちが御神輿を担ぐ荒々しい行事。なので、山鉾よりも御神輿のお祭りの方が好きという方も多いと思います。こちら新型コロナ前の画像になります。
今年の神幸祭、還幸祭は通常とはルートがちがい、八坂神社から四条御旅所まで地域を回らずに四条通りを直行・直帰するルート。例年のルートと勘違いし誤った情報を発信しているサイトもありますので、お間違いなく。
今年の神幸祭、還幸祭は通常とはルートがちがい、八坂神社から四条御旅所まで地域を回らずに四条通りを直行・直帰するルート。例年のルートと勘違いし誤った情報を発信しているサイトもありますので、お間違いなく。
こちらも過去の画像ですが、神幸祭前や還幸祭後であればこのように舞殿に御神輿が鎮座しています。
そして、普段は土産物店になっている四条御旅所は祭り期間だけこのように祇園祭仕様の設えになり、御神輿がこちらに鎮座。そして還幸祭後は八坂神社に御神輿が帰り、8月以降はまた土産物店に戻ります。この時はコロナ禍で神幸祭還幸祭の御神輿巡行が中止になった年の画像。
そして、境内には祭り用の提灯が多数奉納されていました。
そしてお目当ての厄除ちまき。
もともと粽(ちまき)とは食べるものではなく、中身のない食べられないもの。このちまきを門口にお飾りすることで八坂神社の神様が必ずその家を守る、と御祭神スサノヲノミコトが神話の中で約束されたお守り。八坂神社では7月末日まで授与されています。
もともと粽(ちまき)とは食べるものではなく、中身のない食べられないもの。このちまきを門口にお飾りすることで八坂神社の神様が必ずその家を守る、と御祭神スサノヲノミコトが神話の中で約束されたお守り。八坂神社では7月末日まで授与されています。
古い厄除ちまきを納め、新しいものをいただきました。これでまた一年の無事を祈って玄関に飾りたいと思います。
一際目立つ大型山鉾が巡行する前祭はすでに終了し、他府県から観光で来られる方や祭りにあまり詳しくない方の間では、祇園祭自体がすでに終了したと思われてる方も多数。ですが、祇園祭は7月中1か月に渡り執り行られるお祭り。後祭りはもちろんのこと、神事はまだまだ続いています。そして、祇園祭は大きく分けて2つの主催、山鉾町と八坂神社で構成され、その行事日程もそれぞれ違います。