【京都ツウ】大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で悲運の死を遂げた源実朝ゆかり寺院「本覚寺」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は下京区、河原町五条にあるお寺。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも登場し、悲運の死を遂げた源実朝ゆかりのお寺。

目次

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』や源氏物語にもゆかりのあるお寺

下京区河原町五条交差点南西側。ここに浄土宗寺院『本覚寺』があります。
この日は休日の朝散歩でこちらの前を通りがかり、立ち寄ってみました。

貞応元年(1222年)、鎌倉幕府3代将軍・源実朝の正室・坊門信子が実朝の暗殺後に出家して京へ戻り、実朝の菩提を弔うため遍照心院(大通寺)内に創建したのが起源のお寺。寺名は信子の法名「本覚」に由来しています。

以前放映されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源実朝といえば源頼朝と北条政子の嫡出次男として生まれ、兄・頼家の子・公暁に暗殺され、これ以降鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した、という悲運の将軍として登場。ドラマでも反響の大きかった人物でした。

寺は1223年(貞応二年)梅小路堀川に移転されるも、応仁の乱の兵火によって荒廃。その後、細川政元によって高辻烏丸に再建され、真言律宗から浄土宗に改宗。さらに、1591年(天正19年)には豊臣秀吉の命により現在地に移転。

境内には古い鐘楼がガレージ内にあり、ちょっと不思議な光景をかもしていました。

本堂はこの奥にありましたが、この日はお彼岸の法要の日だったようで、一般拝観はしていない様子でした。

こちらが本堂。

また、この場所は源氏物語に登場する光源氏のモデル、嵯峨天皇の皇子・源融の六条河原院(塩竃第)があった場所とも言われています。

源融は奥州・塩竃の風景を模した庭園を作庭し、そこで塩焼をしたとも伝わり、それが町名『本塩竈町』の由来と言われています。

さらに境内には八文字屋本の全盛期を築いた版元、八文字屋自笑の墓もあり、お寺の周辺には出版社も集中し、そういったゆかりのある場所のようです。この界隈は数々の歴史が重層する場所でもあり、興味深いエリアとも言えますね。

基本情報

名称:本覚寺
場所:京都市下京区富小路通五条下る本塩竈町