静かな山中に一直線に伸びる参道
左京区上高野、八瀬方面へ向かう若狭街道沿い。以前からこの前を通りかかると気になっていた神社。特に参拝客用の駐車場なども見当たらず、一直線に山手に伸びる参道だけが通りからも見えるというか。
創祀年代は不明。
この場所が交通の要であり、都の鬼門に当たることから、貞観年間(859~877)以降創建と言われています。
奈良末期から平安時代初期の皇族・早良親王を祀る神社。
この場所が交通の要であり、都の鬼門に当たることから、貞観年間(859~877)以降創建と言われています。
奈良末期から平安時代初期の皇族・早良親王を祀る神社。
まっすぐ伸びる参道を行くと、さらに石造りの鳥居が。
早良親王は、光仁天皇高野新笠の子で桓武天皇の実弟。延暦4年(785)長岡京造宮使であった藤原種継暗殺計画の首謀者として乙訓寺に幽閉され、流罪途中に無実を主張して絶食死。その後、桓武天皇親族の不幸が続き、さらに都で疫病が流行。それも親王の祟りとされ、怨念を鎮魂すべく崇道天皇と追号し、墓を現在の奈良県八島陵へ改葬。
早良親王は、光仁天皇高野新笠の子で桓武天皇の実弟。延暦4年(785)長岡京造宮使であった藤原種継暗殺計画の首謀者として乙訓寺に幽閉され、流罪途中に無実を主張して絶食死。その後、桓武天皇親族の不幸が続き、さらに都で疫病が流行。それも親王の祟りとされ、怨念を鎮魂すべく崇道天皇と追号し、墓を現在の奈良県八島陵へ改葬。
さらに伸びる参道と鳥居。
崇道天皇が祀られている神社は、他藤森神社、上御霊神社とありますが、崇道天皇のみを祭神とするのは、ここだけ。
崇道天皇が祀られている神社は、他藤森神社、上御霊神社とありますが、崇道天皇のみを祭神とするのは、ここだけ。
この時参拝者は私一人で、神社とはいえさらに山奥に進み、若干の心細さも覚えました(笑)
なんとも鄙びた様子の石垣のある社地。さらに石段を登ります。神聖な雰囲気も漂います。
山からの湧き水を引いているんでしょうか。手水舎。
本殿。清らかな山間に荘厳な雰囲気を漂わせていています。
本殿前から見下ろす境内。400メートルほどある参道。
この時、無人ではありましたが社務所があり、書置きの御朱印があり、代金を箱に入れて1枚いただきました。日付はセルフということですね(笑)
他の神社にはない雰囲気と静かな佇まいが印象的な神社でした。
他の神社にはない雰囲気と静かな佇まいが印象的な神社でした。
詳細情報
名称:崇道(すどう)神社
場所:京都市左京区上高野西明寺山町34
電話番号:075‐722‐1486
場所:京都市左京区上高野西明寺山町34
電話番号:075‐722‐1486