御香宮神社の歴史
御香宮(ごこうのみや)神社の創建は不詳ですが、平安時代の貞観4年(862)に社殿を修復したという記録があり、同年9月に境内で香りのよい水が湧き出るという奇瑞によって、清和天皇より「御香宮」という名を賜ったとされています。
以来、この地域の氏神として「ごこんさん」「ごこうぐうさん」という通称でも親しまれています。
以来、この地域の氏神として「ごこんさん」「ごこうぐうさん」という通称でも親しまれています。
大鳥居
via 藤花
御祭神は神功皇后(じんぐうこうごう)で、ほかに6柱の神様を合祀しています。
神功皇后は夫である仲哀(ちゅうあい)天皇亡きあと、その志をついて身重ながら三韓征伐を成し遂げました。
その後無事にのちの応神天皇である御子を産み育てたことで、安産・子育ての神として篤く信仰されています。
神功皇后は夫である仲哀(ちゅうあい)天皇亡きあと、その志をついて身重ながら三韓征伐を成し遂げました。
その後無事にのちの応神天皇である御子を産み育てたことで、安産・子育ての神として篤く信仰されています。
via 藤花
豊臣秀吉の天下統一後は、伏見城築城に際し、御香宮神社を城の鬼門除けとして篤く崇敬し、また徳川家康も社領の寄進や本殿の造営などを行いました。
伏見城が廃城となると、遺構の大手門を表門として拝領されています。
伏見城が廃城となると、遺構の大手門を表門として拝領されています。
表門蟇股
via 藤花
豪壮な構えの表門ですが、正面を飾る蟇股(かえるまた)には、中国二十四考(孝養の物語)が彫刻されるなど、細やかな装飾も魅力です。
拝殿
via 藤花
寛永2年(1625)に紀州徳川家の初代藩主・徳川頼宣(よりのぶ)によって寄進された拝殿は、安土桃山文化の流れを汲んだ豪壮で華麗な彫刻が魅力的。
青を基調とした鮮やかな色遣いと繊細な彫刻に埋められた正面の唐破風は、西本願寺や二条城の唐門にも引けを取らない美しさです。
青を基調とした鮮やかな色遣いと繊細な彫刻に埋められた正面の唐破風は、西本願寺や二条城の唐門にも引けを取らない美しさです。
via 藤花
この拝殿も伏見城の車寄せが拝領されたものと伝えられ、平成9年(1997)の半解体修理により、極彩色の彫刻が蘇っています。
via 藤花
本殿は徳川家康の命により建立されたもので、全体に美しい装飾がほどこされています。
via 藤花
側面に回ると繊細な装飾や美しい屋根の勾配がよく見えます。
via 藤花
少しわかりにくいですが、背面には全面に柳と梅の絵が描かれていました。
本殿背面
via 藤花
本殿に向かって左手にあったのは、穏やかの表情で赤ちゃんを抱く母親の像と「安産の社」と刻まれた石碑。
via 藤花
安産を願う絵馬もたくさん。
via 藤花
本殿の周囲には、東照宮や稲荷社、酒どころらしく松尾社などの摂末社がならんでいました。
東照宮(境内北端)
via 藤花
松尾社(東照宮左隣)
via 藤花
稲荷社
via 藤花
本殿に向かって左側には「御香水」の湧き出る石鉢があります。
via 藤花
御香水は社名の由来ともなった名水で、伏見七名水の1つに数えられています。
貞観4年に水が湧き出した際には境内に良い香りが漂い、この水を飲むとたちまち病気が癒えたという奇瑞により、御香宮の名を賜ったと伝っています。
年間を通して17度前後の水温を保つ御香水は、今も病気平癒に御神徳があるとして多くの方が汲みに来られるそうです。
貞観4年に水が湧き出した際には境内に良い香りが漂い、この水を飲むとたちまち病気が癒えたという奇瑞により、御香宮の名を賜ったと伝っています。
年間を通して17度前後の水温を保つ御香水は、今も病気平癒に御神徳があるとして多くの方が汲みに来られるそうです。
御香宮神社境内図
via 藤花
幕末の慶応4年(1868)に勃発した鳥羽伏見の戦いでは、薩摩藩の本陣となった御香宮神社には、伏見の戦跡石碑がひっそりとたたずんでいます。
会津藩・桑名藩・新選組をはじめとした旧幕府軍と薩長軍による鳥羽伏見の戦いは、伏見の町を巻き込んだ激しい戦でしたが、幸いにも社殿への被害はなく今に至っています。
会津藩・桑名藩・新選組をはじめとした旧幕府軍と薩長軍による鳥羽伏見の戦いは、伏見の町を巻き込んだ激しい戦でしたが、幸いにも社殿への被害はなく今に至っています。
via 藤花
表門から境内に入ってすぐ右手にあるのは「桃山天満宮」です。
桃山天満宮は応永元年(1394)、御香宮神社から300mほど東にあった蔵光庵(禅宗寺院)の守護神として創建された神社です。
桃山天満宮は応永元年(1394)、御香宮神社から300mほど東にあった蔵光庵(禅宗寺院)の守護神として創建された神社です。
via 藤花
豊臣秀吉が伏見城を築城するにあたり、前田利家が境内に隣接した敷地に屋敷を建て、自分の祖先が菅原道真公であるといって天満宮を祀ったそうです。
伏見城廃城後は荒廃し、別の場所に遷されていましたが、昭和44年(1969)に現在地に遷されました。
伏見城廃城後は荒廃し、別の場所に遷されていましたが、昭和44年(1969)に現在地に遷されました。
via 藤花
境内には伏見城跡から出土した巨石が無造作に置いてあります。
せっかくの遺物なのに、あまりに無造作な保管で少しびっくりしました。
せっかくの遺物なのに、あまりに無造作な保管で少しびっくりしました。
via 藤花
天満宮と言えば梅。
開花はまだ先のようですが、紅色に膨らんだつぼみが可愛い。
開花はまだ先のようですが、紅色に膨らんだつぼみが可愛い。
via 藤花
桃山天満宮本殿
via 藤花
桃山天満宮では、伏見城の御城印もいただけます。
朱印には三つ葉葵と五七桐の2種類がありましたが、私は2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟」にちなんで五七桐の御城印をいただきました。
朱印には三つ葉葵と五七桐の2種類がありましたが、私は2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟」にちなんで五七桐の御城印をいただきました。
via 藤花
桃山天満宮から参道を挟んで西南にあるのは、伏見義民の碑です。
伏見義民とは、天明5年(1785)に伏見奉行・小堀政方の圧政を幕府に直訴し、悲惨な最期を遂げた7人の民を指した言葉です。
伏見義民とは、天明5年(1785)に伏見奉行・小堀政方の圧政を幕府に直訴し、悲惨な最期を遂げた7人の民を指した言葉です。
via 藤花
命がけの直訴により小堀は罷免されたものの、幕府への直訴は重罪であったため、彼らはみんな投獄され、病死・獄死を遂げたと伝わっています。
via 藤花
中央に見える石柱が伏見義民の碑です。
通常は門が閉まっていて中に入ることはできません。
通常は門が閉まっていて中に入ることはできません。
御香宮神社石庭
今回は拝観できなかったのですが、御香宮神社には小堀遠州ゆかりの石庭があります。
規模は大きくないのですが、趣のある素敵な庭園のようで、次回はぜひ拝観したいものです。
規模は大きくないのですが、趣のある素敵な庭園のようで、次回はぜひ拝観したいものです。
御香宮神社 基本情報
・住所 京都市伏見区御香宮門前町174
・電話 075-611-0559
・境内自由
・社務所受付 9:00~16:00
・アクセス 最寄駅 京阪電車「伏見桃山」・近鉄電車「桃山御陵前」徒歩約5分
・HP https://gokounomiya.kyoto.jp/index.html
・電話 075-611-0559
・境内自由
・社務所受付 9:00~16:00
・アクセス 最寄駅 京阪電車「伏見桃山」・近鉄電車「桃山御陵前」徒歩約5分
・HP https://gokounomiya.kyoto.jp/index.html