2020年5月24日 更新

【京都ぶらり】知る人ぞ知るキリシタン悲遇の地!伏見城下の歴史スポット「伏水(伏見)刑場跡」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区、観月橋西側の北岸、宇治川を臨む場所にある空き地。かつてのキリシタン信者の牢獄、処刑場のあった場所。

地元民にもあまり知られていない歴史スポット

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伏見区中書島エリア。酒蔵が立ち並ぶ、酒処・伏見ならではの風情が楽しめる場所。元は豊臣秀吉が築いた指月伏見城の濠であったことがその名の由来となる『濠川(ほりかわ)』。酒蔵を臨み、坂本竜馬など幕末の志士たちにとっては癒しの川。

近代では琵琶湖疏水の水を運び、戦後しばらく水運路としても活用され、伏見の暮しに欠かせない川でもあり、濠川から分岐する水路には伏見十石舟も行き来する観光スポットでもあり。
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その周辺にある、寛永14(1637)年創業の大手酒造メーカー『月桂冠』。そしてこちらは伏見の酒造りの歴史と文化にまつわる展示や銘酒の試飲もできる『月桂冠大倉記念館』。
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その記念館の駐車場わきにある、豊臣秀吉や徳川家康の時代にキリシタン信仰の地であった伏見教会址。キリシタン大名だった高山右近の武家屋敷を教会として活用していた場所。
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そんなキリシタン信仰の地でもあった場所から、河口に向かって水路をさらに散策すると平戸橋があり、その橋のたもとあたりにある、小さい祠のある鳥居。
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八千代大明神(剣崎稲荷社)。地元の方に大切に祀られたお稲荷さんが。
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さらに水路をたどっていくと、宇治川(淀川)につながり、レンガ建築の重厚な平戸樋門。
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彼方には観月橋も見え、開放的な眺望が広がる、清々しささえおぼえる場所ですが。
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そんな平戸樋門のある場所から宇治川少し下流へ。すると、なんてことのない河岸のだだっ広い空き地。

特に何か駒札が建っているわけでもありませんが、実はこの場所にかつてのキリシタン信者にかかわる深い歴史があります。前述の伏見教会址からもわかる通り、16世紀末~17世紀初頭、ここ伏見は豊臣秀吉や徳川家康といった天下人たちの本拠地であり、政治・経済の中心地、発信地でもあった場所。そして、キリシタン信仰の場でもあり。
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天正15年(1587年)に豊臣秀吉が発したバテレン追放令以降、キリシタン排除の流れにより、多くの信者がこの場所で囚われ、処刑されたと数々の資料に残されています。

江戸時代(1614年)キリシタン武士・ジョアン兵右衛門が、京橋近くの宇治川本流の河原で斬首。御香宮蔵「伏見市街地図(伏見図)」には『セイバイ場』とこの場所が記されていたり。さらには医学的発展の観点により遺体の解剖もこの地で行われたと、「京都の医学史」などの歴史書に記されています。

基本的に刑場址など、黒歴史的場所にはなかなか駒札が設置されたり観光ガイドなどに載らないことが大半。伏見にそんな場所があったとは、おそらく地元民でも知らない方多数の場所。

伏水(伏見)刑場跡への口コミ

基本情報

名称:伏水(伏見)刑場跡
住所:京都市伏見区平戸町
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