2019年8月6日 更新

【京都お寺めぐり】来年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で注目?本能寺の変ミステリーの鍵を握るお寺「妙覚寺」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は茶道宗家が集中するエリアにある日蓮宗寺院。来年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも注目。未だ謎に包まれた本能寺の変の鍵を握るとも言われているお寺。

戦国武将・織田信長の定宿だったお寺

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堀川寺之内からさらに北東へ。ちょうど茶道宗家の施設や茶室のある場所の東側。
今回初訪問のお寺。

こちらのお寺は来年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でもしかしたら注目を集めるかも?と予想されるお寺でもあり(笑)

ドラマの内容は本能寺の変で戦国武将・織田信長を本能寺の変にて暗殺した明智光秀の半生を描いたものなんだとか。
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ここ妙覚寺は室町時代、永和4年(1378)にもとは四条大宮に創建。
文明15年(1483年)には足利義尚の命により二条衣棚に移転。戦国時代は大規模な敷地を有し、妙顕寺に並ぶほど。

国宝「洛中洛外図屏風」にも描かれ、13代将軍足利義輝、織田信長、伊達政宗など様々な人物の宿所だったり、千利休の茶会も開かれた場所。
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そのお寺がなぜ今注目なのか。

それは織田信長が京都で一番定宿として活用した場所で、京都に来た20数回のうち18回をここ妙覚寺で宿泊。そして、信長が奇襲にあった本能寺はわずか3回しか宿泊しておらず、その3回目に本能寺の変が勃発。
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ちょうど信長が自害し本能寺が燃え盛る最中、嫡男・織田信忠は妙覚寺に宿泊中。この時信長はすでに家督を信忠に譲っており、信忠が二条御所に移動し明智軍に交戦することなく逃亡し生き延びていれば、もしかしたら織田家がそのまま実権をにぎり、後の豊臣秀吉が台頭することもなかったかもしれない、という学説が最近注目されています。
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天正11年(1583)に豊臣秀吉の洛中整理命により現在地へ移転。
国の指定重要文化財の盂蘭盆御書や、狩野派扉絵・華芳堂、趣の異なる3つの庭園など数々の見どころあり。
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で、中を拝観させてもらおうと訪れましたが、この時期は拝観休止中でした(泣)
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さらに1788年(天明8年)、天明の大火により焼失し、後に再建。
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そして日本絵画史上最大の画派・狩野派の墓所があることでも有名。
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いったん境内を出て西側にある墓所へ。

狩野派2代目・狩野元信とその一族のお墓。狩野元信は狩野派の画風の大成と近世における狩野派繁栄の基礎を築いた人物。

もしかしたら来年の大河ドラマにも登場するかもしれない歴史の一証人的存在でもあるお寺。ぜひお参りください!

妙覚寺 へのツイート

詳細情報

名称:妙覚寺
住所:京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135(新町通鞍馬口下ル)
電話番号:075-441-2802
公式サイト:https://www.meguru-kyoto.com/myoukakuji/
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