京都夏の風物詩・祇園祭を主催する神社
東山区四条通り。日本三大祭の一つである祇園祭を主催する神社として全国的にも知られ、国内外問わず多くの参拝客でにぎわう『八坂神社』。地元では通称『祇園さん』『八坂さん』と呼ばれ、京都のシンボル的神社。
そして、7月は京都夏の風物詩であり、日本三大祭りの一つ『祇園祭』が始まっています。祇園祭というと花形行事の宵山や山鉾巡行がクローズアップされますが、実は7月中一か月かけて執り行われる長期開催のお祭り。
この日は早めに八坂神社の厄除ちまきをいただこうとやってきました(7月13日撮影)。
この日は早めに八坂神社の厄除ちまきをいただこうとやってきました(7月13日撮影)。
時同じく、四条烏丸界隈では山鉾町を中心に執り行われる山鉾行事が同時進行中。この時鉾建ては終了し、山建ても進行中でした。
そして、この日の八坂神社では長刀鉾や久世駒形のお稚児さんが参社予定。久世駒形稚児とは17日の神幸祭と24日還幸祭の神輿渡御で、素戔嗚尊を祀る神輿の中御座の行列に伴って廻る稚児のこと。
そして、この日の八坂神社では長刀鉾や久世駒形のお稚児さんが参社予定。久世駒形稚児とは17日の神幸祭と24日還幸祭の神輿渡御で、素戔嗚尊を祀る神輿の中御座の行列に伴って廻る稚児のこと。
この時はまだ朝だったこともあり、参道の出店はまだクローズ。いつも以上に出店が多い印象で、祭り気分を盛り上げます。
朝とは言え、強烈な日差しの境内。
神社の創建には二つ説があり、一つは斉明天皇2年(656年)、高句麗から来朝した伊利之使主(いりしおみ)が、新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)を、山城国八坂郷に奉斎したという説。そしてもう一つは貞観18年(876年)、南都(奈良)の僧・円如が当地にお堂を建立し、同年に祇園神が祇園林に降臨したのが「祇園社」の始まりという説。
左手に本殿があり、主祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の他、素戔嗚尊の妻神・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)が祀られています。
神社の創建には二つ説があり、一つは斉明天皇2年(656年)、高句麗から来朝した伊利之使主(いりしおみ)が、新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)を、山城国八坂郷に奉斎したという説。そしてもう一つは貞観18年(876年)、南都(奈良)の僧・円如が当地にお堂を建立し、同年に祇園神が祇園林に降臨したのが「祇園社」の始まりという説。
左手に本殿があり、主祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の他、素戔嗚尊の妻神・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)が祀られています。
さらに舞殿には7月10日「神輿洗い」を終えた、御祭神たちの御霊を乗せた神輿渡御の中心的存在・中御座、東御座、西御座の御神輿三基が鎮座。7月17日「神幸祭」では氏子地域を巡行し御旅所に一週間鎮座し、その後7月24日「還幸祭」で再び八坂神社へ戻られます。
そして、社務所にて今年の厄除ちまき授与していただきました。古いちまきはまた後日持参するとして。
毎度繰り返しますが、もともと粽(ちまき)とは食べるものではなく、中身のない食べられないもの。このちまきを門口にお飾りすることで八坂神社の神様が必ずその家を守る、と御祭神スサノヲノミコトが神話の中で約束されたお守りで、一年の無事を祈って玄関に飾ります。
家では、長刀鉾のちまきとセットで玄関口に飾っています。昨年のものと姿形は全く同じちまきですが、茅(ちがや)の葉の色の青々とした様子はやはり今年のものとわかります。メルカリでお古の厄除ちまきが出回ってたりしてましたがw
そして、こんな祇園祭限定の鉢植え『祇園守』も授与されていました。祇園祭のシンボル的植物『ヒオウギ』はよく知られていますが、こちらはムクゲの一種で五弁の花が八坂神社の御神紋に似ていることから、祇園守と呼ばれる由縁とか。ちまきと共に授与されると、厄除け最強かもしれませんね(笑)ご参考に。