学問の神様でおなじみの北野天満宮の前身神社
社伝によれば、謀反の罪により、朝廷から太宰府への左遷を命じられた菅原道真は、延喜3年(903)わずか2年ほどで無念の死を遂げました。没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は自宅に祠を建てて道真を祀っていましたが、道真のお告げ「われを右近の馬場に祀れ」から、天暦元年(947年)北野の地に鎮座。そのことから天神信仰発祥の神社、北野天満宮の前身とも伝わっています。
ひっそりとした神社ですが、この日節分祭ということでぽつぽつと参拝客も来られていました。
天満宮ということで、鳥居の両側には狛牛。さらにトレードマーク的梅のつぼみも色づき、膨らんでいました。
御手水舎には北野天満宮の社紋と同じ星梅鉢。
本殿。御祭神は菅原道真公。
創建以後、天明、安政、元治の大火で類焼し、その都度再建。現在の社殿は、1918年(大正7年)に造営された建物。
創建以後、天明、安政、元治の大火で類焼し、その都度再建。現在の社殿は、1918年(大正7年)に造営された建物。
道真が太宰府左遷の途中、腰掛けたとされる腰掛石。面白いことに、石の上には星梅鉢を模してお賽銭が並べられていました。
他、境内には末社が五社あり、こちらは白太夫社(子宝の神)、老松社(植林林業の神)いずれも道真ゆかりの社。
他、相殿 には伴氏(菅公御母君)是善公(菅公御父君)多治比文子(菅公乳母)の三柱が祀られています。
境内全体が屋根付きになっていて、奥に社務所があります。
ここにも来歴にまつわる展示がなされています。
おみくじも天満宮らしい牛みくじは紅梅みくじなどあります。
御朱印も3種類。節分の日に参拝したという記念も込め、紙状ですが御朱印いただきました。
周囲住宅やビルが密集する、ちょっと隠れ家的神社でした。
周囲住宅やビルが密集する、ちょっと隠れ家的神社でした。
学問の神様で知られる菅原道真ゆかりの神社。「天神町」にあります。