グローバルですね~今回は、そんな「薬祖神祠」をご紹介します。
変動する時代に臨機応変な京都人的発想の合祀
烏丸二条をさらに西へ。こんな風に建物の間に所狭しと立地。街中の神社ですね~名前のとおり、薬にまつわる神を祀る神祠。江戸時代、二条通りは50を越す薬問屋や薬局などが並んでいました。
1858年、中国の薬神「神農(しんのう)」を祀ることがこの町衆の間で決まり、薬祖神祠が誕生。年中行事のひとつに「薬祖神祭」も行われ、大変有名だったそうです。
1864年の蛤御門の変で二条の薬業街が焼失。しかし、祭り自体は毎年とりおこなわれ、明治維新以降復興をとげ、当時欧米からも薬を輸入するように。その流れで西洋医学の祖とされるギリシャの哲学者『ヒポクラテス』も祭神に加えられるように。なんといいますか・・・臨機応変な京都人(笑)
その後、さらに巳貴命(おおなむちのみこと)、小彦名命(すくなひこなのみこと)大国主命(おおくにぬしのみこと)など日本の神様も加えられ、今に至るのが薬祖神祠というわけ。そんなにワールドワイドな神に参拝できるって、薬に関してはもうコワいもんなし!ですね。
1858年、中国の薬神「神農(しんのう)」を祀ることがこの町衆の間で決まり、薬祖神祠が誕生。年中行事のひとつに「薬祖神祭」も行われ、大変有名だったそうです。
1864年の蛤御門の変で二条の薬業街が焼失。しかし、祭り自体は毎年とりおこなわれ、明治維新以降復興をとげ、当時欧米からも薬を輸入するように。その流れで西洋医学の祖とされるギリシャの哲学者『ヒポクラテス』も祭神に加えられるように。なんといいますか・・・臨機応変な京都人(笑)
その後、さらに巳貴命(おおなむちのみこと)、小彦名命(すくなひこなのみこと)大国主命(おおくにぬしのみこと)など日本の神様も加えられ、今に至るのが薬祖神祠というわけ。そんなにワールドワイドな神に参拝できるって、薬に関してはもうコワいもんなし!ですね。
ほこらには3国合同の神々
ちょっとわかりづらいんですが、一の鳥居と二の鳥居の間にガラス張りの社殿。なので、これ以上奥へはいけません(驚)
そして、その中には神農像、ヒポクラテス像、獅子舞や神輿、太鼓まで。さらに奥には祠が。ちょっと変わった造りですね。珍しい神社ですね。
薬祖神祠への口コミ
薬祖神祠。奥の社殿には行けず、ガラス越しに御神輿とか見られるんですが、中でもひときわ異彩を放つのが御祭神の一柱でもあるヒポクラテスの像。ちなみに、御祭神は大巳貴命、少彦名命、神農、そしてヒポクラテスです。 pic.twitter.com/Cbf4rZXVZd
— なぎさ (@nagisanoyuki) April 27, 2015
薬祖神祠 基本情報
- 名称
- 薬祖神祠
- 住所
- 京都府京都市中京区東玉屋町
- Map
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