2017年3月1日 更新

京都市内に唯一残る道標!江戸時代の交通を支えた遺構「大宅一里塚」【京都山科】

江戸時代、奈良街道(京街道)、東海道57次の道標として交通を支えた遺構。京都市内では現在ここにしか残っておらず貴重。京都市指定・登録文化財でもあり。

京都市内に唯一残る江戸時代の道標

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以前書いた鉄道の廃線遺構の記事から、他のもこんなんありますよ、と有り難い事にいろいろネタ提供してくださる方がいまして(笑)で、素直にのっかることにしました。

山科区大宅。奈良街道と名神高速道路がちょうどクロスするあたり。
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すぐ近くには岩屋神社があり、その御旅所も。
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目の前には名神高速道路。

かつては東海道57次だった!

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そんな場所にこれが。
市内に残る唯一の一里塚。慶長9年(1604)に徳川家康の諸街道整備とともに、街道の両側に一里(3.75km)毎に目印として築かれた塚。塚上にエノキを植えて目印に。もと街道の両側にあった塚のうち,西側のものがこれ。東側は取り除かれてしまってます。
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江戸から東海道53次と同じ道をたどり、大津あたりから分岐し大阪(高麗橋)へと続いた東海道57次がかつてありました。豊臣秀吉の時代に。その一部がこの奈良街道(京街道)。

というか、東海道57次があったとは知りませんでした。
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直径4~5m,高さ1.8mの塚。塚の上にはかつて樹高約11mのエノキが植えられてたようですが、現在は切り落とされたのかこのような状態に。
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昭和44年ごろの写真には、まだ現存していたみたいですね。
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写真と同じ場所がこちら。全く様変わりした光景。現在ではもちろん信号や標識があり、その脇にはこの一里塚。時を経て、江戸時代と現在の道路標識が共存する場所。ちょっと不思議な感覚を覚えましたね。

大宅一里塚 へのツイート

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