平安京の歴史を知るかつての古代庭園を有する祇園祭ゆかり寺院
境内入って広大な池『法成就池』には石橋がかかり、拝殿からその奥社『善女竜王社』。平安時代に空海が天竺から勧請したと伝わる龍神、雨乞いの神・善女龍王を祀っています。後に真言宗の東寺の管轄下にある雨乞い寺院となり、古くから祈雨の儀式が行われてきました。
社の背景にある古墳めいた『中嶋』。見落としがちですが、こちらがその神聖な場所。
さらに西側に朱色の太鼓橋『法成橋』が架かり、本堂や回遊式ルートに繋がります。
季節を問わず、どんな日照りの年にも涸れることなく、平安時代中期には灌漑用水としても利用された神泉苑。
こちらは江戸時代の古地図。
この時代には、徳川家康が造営した二条城場内に神泉苑の大部分が取り込まれて、その水源である「神泉」も城内に取り込まれていたと伝わっていますが、その様子が地図からもわかります。
よく地名『御池』の由来が神泉苑であると俗に言われていますが、その事実が確認できないことから、最近では疑問視する声も上がっているとか。
この時代には、徳川家康が造営した二条城場内に神泉苑の大部分が取り込まれて、その水源である「神泉」も城内に取り込まれていたと伝わっていますが、その様子が地図からもわかります。
よく地名『御池』の由来が神泉苑であると俗に言われていますが、その事実が確認できないことから、最近では疑問視する声も上がっているとか。
すぐ近くには二条城や地下鉄駅もありますが、山茶花が咲き乱れ、まだつぼみですが桜の木もあり、ゆったり過ごせるベンチなども設置され、街中のオアシス的場所。
特にこれから春めく陽気になれば、季節の花も咲きほころび、境内を散策するにも良さそうです。ご参考に。
特にこれから春めく陽気になれば、季節の花も咲きほころび、境内を散策するにも良さそうです。ご参考に。
その歴史は古く、794年平安京遷都と共に造営された平安時代の皇居付属庭園で、日本の古代庭園の一つとして知られています。日本書紀にも記された庭園で、かつて天皇や貴族たちの遊興の場として利用されました。
そして日本三大祭の一つ、祇園祭の発祥地。祇園祭の起源とされる「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」は、当時全国に疫病が流行したことに伴い、貞観11年(869年)に国の数と同じ66本の鉾を立てて悪霊を祓う儀式をここ神泉苑で執り行いました。それが祇園祭の原型と言われ、その後八坂神社を中心に執り行われ、鉾や山車が町を練り歩く姿はその名残りとも伝わっています。