知る人ぞ知る地名『山ノ内』にまつわる史跡
右京区、ちょっと街ブラ途中の西院から西へ行った閑静な住宅街。地名でいうと『山ノ内』というエリア。何やらこのあたりに史跡がある、というのを見つけやってきました。まったくその気配がないほどの住宅街ですが。
その一角。町内の広報板のスペース。その影に隠れていますが。
何やら石碑のようなものがあり、京都市のものではありませんが、案内板も建ち、その周囲を石造りの柵で囲われています。
石標には『若宮社旧蹟』と書かれています。昭和十一年十二月建之と刻まれ、戦前に建てられたものであることがわかります。
案内板には『若宮社御鎮座旧跡』とあり、要約すると次のようなことが書かれています。
当所『山ノ内』は、かつて比叡山延暦寺の寺領で、この地には平安時代・比叡山延暦寺の僧であった良真座主(1027~96)の西ノ京禅房堂舎があったと伝えられています。そして延暦寺の鎮守・日吉山王大神をここに勧請して若宮社として祀りました。
明治11(1878)年には若宮社は氏神山王神社(現、滋賀県大津市坂本にある日吉大社)に移され、現在は境内末社となっています。この石標はその若宮社跡を示すもので、地名『山ノ内』はこれに由来します。現在では、町内有志によりが建てられたこの石碑が若宮社跡として今に伝えています。
当所『山ノ内』は、かつて比叡山延暦寺の寺領で、この地には平安時代・比叡山延暦寺の僧であった良真座主(1027~96)の西ノ京禅房堂舎があったと伝えられています。そして延暦寺の鎮守・日吉山王大神をここに勧請して若宮社として祀りました。
明治11(1878)年には若宮社は氏神山王神社(現、滋賀県大津市坂本にある日吉大社)に移され、現在は境内末社となっています。この石標はその若宮社跡を示すもので、地名『山ノ内』はこれに由来します。現在では、町内有志によりが建てられたこの石碑が若宮社跡として今に伝えています。
それにしても、比叡山延暦寺は京都の鬼門(北東)の、京都と滋賀の府県境に立地。そして、この場所は市内でも西寄り、西院よりもさらに西にあり、比叡山延暦寺からはかなり離れた場所。それが寺領だったとは、どんだけの広さを有していたのか、と。今との違いに、ちょっと驚きをおぼえる史跡ですね。
基本情報
名称:若宮社御鎮座旧跡
場所:京都市右京区山ノ内山ノ下町12
場所:京都市右京区山ノ内山ノ下町12