2021年11月25日 更新

「島原の角屋おもてなし美術館」は、おもてなしの心溢れる美術館

JR丹波口駅から徒歩約7分ほどにある、「角屋もてなし文化美術館」についてお話いたします。 江戸文化の名残を感じられる、文化財として貴重な意味を持つこの美術館は、専属の説明してくれる人がついて、一つ一つ丁寧に説明をしてくれる、貴重な美術館です。

はじめに...

この記事では、私が京都の観光名所にいった感想を書きます。
もしこれから京都観光をする機会があれば、参考にしていただければと思い書きます。

今回ご紹介するのは、角屋もてなし文化美術館です。
公式サイトがあまり充実しておらず、また分かりづらいため、補足してご説明をいたします。

私は、ここが観光としてお勧めできる場所なので知ってもらいたいと考えて、記事にしました。

それほど良いところでした。
では何が良かったのか、お伝えします。

角屋もてなし文化美術館は、京都駅からJR山陰線に乗り換えて二駅目の丹波口駅を降ります。
JR丹波口駅から、歩いて5分ほどで着きます。

角屋もてなし文化美術館の場所

角屋もてなし文化美術館は、京都駅からJR山陰線に乗り換えて二駅目の丹波口駅を降ります。
JR丹波口駅から、歩いて5分ほどで着きます。

角屋もてなし文化美術館の基本情報

角屋もてなし文化美術館は、いつでも見れる場所ではありません。

まず、開館期間があります。
開館期間は、
3月15日~7月18日
9月15日~12月15日
となっております。

この期間以外は休館していますので、注意してください。

また開館時間は、午前10時~午後3時40分まで、
休館日は月曜日(月曜祝日の場合は翌日休館)
となっています。

休館期間があり、月曜日が休館、開館時間も短いので、行くときには注意しましょう。
1階の見学は①10時30分、②11時30分、③12時40分、④13時30分、⑤14時30分、⑥15時30分に15名以内で、係の方が案内する方式になっています。

そのうえで注意が必要なのが、2階座敷の見学です。

2階座敷は、1日4回の案内(10時15分、13時15分、14時15分、15時15分)で、別途料金800円、中高生600円、小学生は見学不可となっています。
さらに1回の案内が5人以内となっているため、見る場合は予約することを強くお勧めします。

私は2階座敷も見ましたが、とても壮観な座敷で見応えが十分にありましたよ。

角屋もてなし文化美術館の歴史

角屋は、島原開設当初から連綿と建物・家督を維持しつづけ、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されました。
揚屋とは、江戸時代の書物の中で、客を「饗(きょう)すを業とする也」と定義されているところによると、現在の料理屋・料亭にあたるものと考えられます。饗宴のための施設ということから、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配するとともに、庫裏と同規模の台所を備えていることを重要な特徴としています。
ということで、昔の宴会場として建てられました。
いわゆる花街といわれるもので、歌や舞を伴う遊宴の町でした。

角屋もてなし文化美術館の入館料

入館料は、一般1000円、中高生800円、小学生500円です。

2階の座敷を見学する場合は、別途で一般800円、中高生600円が必要です。2階の座敷は、小学生以下は見学ができなくなっています。

角屋もてなし文化美術館の中

炊事場

炊事場

まず中に入ると、炊事場があります。
たくさんのお座敷をもつ角屋ですので、炊事場もかなりの規模です。

この場所から、1グループ15人ほどに案内係の方がついてくれて、建物内の歴史を丁寧に説明をしていただけます。
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例えば、このロウソクを屋根から吊るす行燈。

これは昔の照明器具です。
宴会は夜におこないますので、当時は当然電機なんてものはなく、照明器具はロウソクでした。

ただそのロウソクを足元に置いておくと、倒してしまって火事になる危険があったため、この写真のように吊るすようにしていたそうです。

こうした説明を、一つ一つ丁寧にしてもらえます。
西郷隆盛が行水に使ったとされる桶

西郷隆盛が行水に使ったとされる桶

これは、西郷隆盛が行水に使ったとされる桶です。

この桶があったおかげで、角屋は明治時代に取り壊しを免れたと説明をききました。
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これは帳場です。いわゆる受付ですね。
角屋では帳場で、お客さんの好みなども記録をしていたそうです。
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角屋は、武士が宴会に来ますので刀箪笥を置いていました。
武士は刀をここで預けて、宴会場に入らなければならなかったそうです。
しかも、この刀箪笥には鍵がかけられるようになっていて、簡単に刀を持ち出せないようになっていたそうです。

しかし新選組だけは、巡回と称して刀を預けずに宴会場に上がっていったため、緞子の間、青貝の間に3カ所、前庭の柱などに新選組によるものという刀傷が残っています。
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1階の入り口を上り、すぐにあるのが「網代の間」です。
この写真では分かりづらいですが、広さは約30畳くらいあるお座敷です。
相当な広さがあり、たくさんの人で宴会をすることができました。

この網代の間からは、縁側を通して中庭を見ることができます。
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当時は夜に宴会がおこなわれていたので、この中庭をしっかりとみることができなかったかもしれません。
あの灯籠にロウソクを入れて、楽しむ程度だったかもしれませんが、相当に趣向の凝らした中庭で見事なものでした。

この写真の左側の通路を通ると、奥にもう1つお座敷があります。
それが松の間です。
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ここは、お座敷から立派な庭園が見え、庭園に植えられている松は、「臥龍松」と呼ばれ、龍が天に昇っていくような姿をしていることからその名がつけられたそうです。

この松が見事で、手入れが行き届いている素晴らしいものです。
分かりづらいですが、この松の後ろにお茶室があり、そこでお茶会をしていたそうです。

じつはこの角屋は重要文化財になっておりますが、この松の間だけは重要文化財ではなく登録有形文化財となっています。
この松の間は一度建て直したものらしく、重要文化財になれなかったそうです。
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2階の見学のためには、この扉の後ろにある隠し階段から2階に上がります。

2階には、緞子(どんす)の間、翠簾(みす)の間、扇の間、草加の間、馬の間、桧垣の間、青貝の間の、大小7つのお座敷がありました。

この7つのお座敷が、それぞれ趣きの異なった内装になっていました。
特に、青貝の間は中国風の座敷で、壁に螺鈿を施した一風変わった内装で、とても興味深いお座敷でした。
京都市内の観光名所のなかでは、立地が良くない、そして開館時期が限られているなど、行きづらい場所ではあります。
ですが、行くととても良い観光地ですので、ぜひ訪れてみていくださいね。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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