2020年2月26日 更新

【京都史跡めぐり】NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で注目!明智光秀築城の名残り見せる☆「丹波亀山城址」

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は京都府亀岡市にある城址。戦国武将・明智光秀が丹波の拠点として築城。今年からスタートするNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも注目スポット。

亀岡の地形を活かした城郭設計にお城マニア魅了☆

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亀岡市、JR亀岡駅からもほど近い場所にある、丹波亀山城址。今、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも注目されるスポットで、観光でやってきました。城址の北側に位置する南郷公園前。
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その入り口には、注目の戦国武将・明智光秀公のブロンズ像が。
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その両側にあるのは、かつて亀山城天守家棟にあった鯱瓦を模したブロンズ像。
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そして、明治5年(1872年)に撮影された亀山城本丸の写真を基に、天守の様子が銅板に描かれています。

天正5 年(1577)頃、丹波攻略の拠点として、明智光秀により築城。以来、大きく三期に渡って完成。第一期は光秀の丹波攻略の拠点として、近世城郭の先駆的なものとして。第二期は豊臣秀吉の支配下で、城下町整備とともに小早川秀秋により築城整備。さらに第三期は最も大規模で、岡部長盛が亀山藩主の頃、大阪城の包囲網として西国大名の夫役による天下普請で完成し、明治11年(1878年)の廃城令で解体。

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光秀築城の第一期では3重の天守が構えられ、秀秋時代の第二期には5層に改装。
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亀山城南側は内堀、外堀、惣堀の三重堀と御土居がめぐり、強固なものになっていますが、北側にある現在南郷公園のある場所は、南郷池だけの一重。
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ではありますが、有事の際には保津川の流れをせき止めると、北側のこの一帯の水田地が一気に大きな堀となるよう設計されています。
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明治11年の解体以降、大正8年(1919年)、亀岡出身の宗教法人「大本」の教祖・出口王仁三郎により、本城を購入し、所有権の流転を経て、大本に所有権が再び戻った経緯。

そういったことから、一般の観光客が立ち入り禁止の神域もあり。
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参観には、みろく会館受付で300円を支払う必要があります。
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途中、石垣があり、その中に大名たちが残した天下普請の刻印。同じような刻印を以前名古屋城でも見かけたことがありますが、それぞれ築城を請け負う箇所が大名ごとで違うため、所有する建材を見分けるために刻印されたと言われてます。
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さらに、よくよく見ると、これ伏見城址でも見かけたタイプの石。同じ大名のものなんでしょうかね。
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本丸のあった場所へは、この大本の神殿・万祥殿前を通ります。
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復元された天守石垣。下から約3分の1は、光秀時代の穴太積みが奇跡的に残っています。この上が本丸址になりますが、神域のため立ち入り禁止。

お城自体はありませんが、城郭設計やわずかに残った石垣から、当時の様子に思いをはせてみたり。

丹波亀山城址へのツイート

詳細情報

住所:京都府亀岡市荒塚町内丸1
電話番号:0771-22-5561
参観期間:令和2年2月4日(火)~令和3年1月17日(日)
参観時間:午前9時30分~午後4時30分
入館料:高校生以上300円、中学生以下無料
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