2016年12月11日 更新

【京都名水めぐり】千利休も愛した名水!極上の染色に欠かせない洛中の井戸水「柳の水」【三条西洞院】

平安時代から続く名水。あの千利休も茶の湯に利用し、今も枯れずに湧き出る名水は昔から続く周辺の黒染め染色産業を支えるのに欠かせない存在。

三条西洞院にある洛中の名水

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たまたま観ていたBSの番組でこちらの名水を紹介していて。ここはノーマークだったな、と。

洛中・三条西洞院下がったあたりにある「キョウト黒染屋馬場染工業株式会社」。
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「茶人村田珠光・織田信雄・加藤清正・紀州藩 古蹟」の石標が立つ場所。 
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お店の前にも早速の柳の水。このあたりの町名はこの水の名にちなみ、柳水町(りゅうすいちょう)。

名水がつくるより深い黒染「秀明黒」

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こちらは創業明治3年の黒染め専門のお店。「秀明黒」はこちらの黒染めブランド。家紋などの型染や友禅体験もできる工房もあり。
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着物にかぎらず、洋服の染め替えや染め直しもされてるそうです。「秀明黒」はこちらの黒染めブランド。普通の黒染めよりもより深い漆黒が特徴。あの坂本龍馬が着ていた黒紋付もこちらのものではないかと。

それも、ここの柳の水があってこその秀明黒なんだとか。
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このあたり一帯が同じ水源なんで柳の水ということになるみたいなんですが、このお店の奥に進んでみます。
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工房を通り過ぎると、井戸が。こちら柳の水。

この地は、平安時代末期には崇徳院(1119~64)の御所があった所で、清泉があり柳水として有名で千利休(1522~91)も茶の湯に用い、側に柳樹を植え直接陽がさすのを避けたと伝える。近世初期には、織田信長の次男信雄(1558~1630)がこの地に住し、寛永初年に北野五辻に移った後、肥後加藤家京邸となり、その後も徳川御三家の一つ、紀州和歌山藩の京邸にもなった場所。
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親切にもペットボトル持参でない人のためにも用意してくれてます。
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汲みやすく蛇口になってますが、地下約90メートルまで掘られた地下水は、一度も枯れることなく今も現役で染色や飲料水として活用されています。
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コップ1杯分、いただきますよ。維持管理に少額でしたが、寄付させてもらいました(笑)ちゃんと至れり尽くせりで、グラスも用意されています。
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なみなみ注いで、ごくごくと。
飲みくちはやわらかいお水の雰囲気ですが、後味に舌にひっかかるミネラル的味も。きっとこれが、美味しいお茶にもなり、染色でより深い黒を出す素になるのかなぁ、と。加熱すると、また違う風味になるんだろうな。今度はペットボトル持参でまた来よう。街中でアクセスしやすいし(笑)

ヨ~イヤサ~♪

柳の水 への口コミ

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