2019年4月15日 更新

【驚愕】2016祇園祭後祭密着!山鉾巡行くじとらずの先頭・橋弁慶山の山建て、曳き初め風景を徹底解剖!!【四条烏丸】

おおきに~豆はなどす☆今回は祇園祭後祭の山鉾巡行の先頭・橋弁慶山の様子を保存会のご協力で、間近で取材させていただきました!もう、大変すぎる作業で驚愕。

早朝から山建て開始

謡曲「橋弁慶」より取材、弁慶と牛若丸が五条の大橋で戦う姿をあらわしている。弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っている。橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えている。弁慶と牛若丸の人形には、永禄6年(1563)大仏師康運作の銘があり、また牛若丸の足の鉄串には、天文丁酉(1537)右近信国の銘がある。前懸は中国清頃の雲龍波濤文様の綴錦であったが、昭和58年から新しく富岡鉄斎原画の椿石図綴錦が用いられている。胴懸の加茂祭礼図綴錦は円山応挙(1733~1795)の下絵と伝えられており、近年復元新調された。水引は唐子嬉遊図の綴錦、後懸は雲龍文様の刺繍である。なお、この山は古来くじとらずで、後祭巡行列の先頭を行く。
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早朝から保存会の方総出で山建て開始。ちょうどいい天気でよかったですね。
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通りの表からは見えませんが、保存会の建物の裏にある蔵に山関連のグッズが仕舞われています。それを取り出し、いったん2階へ上げて組み立てます。こちらは弁慶人形。
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こちらは牛若丸。てっきり、出来上がってる人形を蔵からそのまま取り出せばいいもんだと思ってましたが、一から組み立て。ちょっと驚き。
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そして、人形が差してる刀もこんなバラバラ状態。これを一つ一つ組み立てます。こんなところから!!
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甲冑も分解されてるものを一つずつ着せて。
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そして、台に差し込みます。

いよいよ、山へ乗せます

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こちらは橋パーツ。これも、いったん2階へ。で、山に運んで組み立てていきます。
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人形類も2階から山へ移し、小物類を装着。

ようやく待望の曳き初め!

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ちゃんと問題なく移動させられるか、確認も兼ねての曳き初め。こちらは一般の方も参加できます。他の山鉾でもやってます。

ご神体、橋、懸装品を外し、町家に飾り付け

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そして、ご神体、橋、懸装品を外しまた町家の2階へ。
何も乗ってない状態の山。そして、これから提灯を飾ろうとしている最中。裸電球状態て、ちょっと珍しい光景(笑)
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通りから2階の弁慶と牛若丸が見られます。巡行当日まで、こんなふうに町家に飾られます。そして、1階には橋、そして粽や弁慶の勇敢な姿にあやかり心身ともに強健でありますようにという願いが込められた「力縄」を販売。
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こちらは五条大橋。
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そして、2階へ。
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間近で見る、弁慶と牛若丸。
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ちょっとお供え物が独特な雰囲気。鏡餅みたいですが、紅白餅。

もう作れる継承者がいない品々

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弁慶の甲冑の膝部分。この細かな細工、今ではもう作れる人がいないんだとか。
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背後から。牛若丸のこの着物の織りも今では再現できないという。
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こちらは以前山に飾られていたタペストリー。大変貴重なもので、今は山には飾らずこうして額に収められているとのこと。

外では、提灯も取り付けられ完成

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巡行までこの状態。なので、宵山、宵々山ではちょっと見ごたえありませんが(笑)
そして、巡行当日にご神体、橋、懸装品をまた乗せて・・・て凄い労力のかかる作業。
今回いろいろ取材させてもらい、その大変さに驚愕!
こんな裏方の一つ一つの苦労の集積が祇園祭を作っていることを知りつつ、巡行を迎えるとまた感慨ひとしお。こんな保存会のご苦労をより多くの人に知ってもらいたいですね。
巡行楽しみにしています!

ヨ~イヤサ~♪

橋弁慶山 への口コミ

橋弁慶町 基本情報

住所:京都府京都市中京区橋弁慶町
関連サイト:http://www.hashibenkei-yama.com/index.html
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